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慎吾とゆくパラロード

 朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーターの香取慎吾さんがさまざまなパラ競技に挑戦する「慎吾とゆくパラロード」。今回は、2018年平昌冬季パラリンピックのアルペンスキーでメダル5個を獲得し、来年の東京大会は陸上短距離で出場を狙う村岡桃佳選手(23、トヨタ自動車)とリモート対談しました。強化を支える車いす陸上の実業団チーム「グロップサンセリテ WORLD―AC」の松永仁志選手兼監督(47)も一緒に、夏への挑戦、そして覚悟について、語り合いました。

紙面でも
香取慎吾さんと、陸上競技で東京パラリンピック出場を狙う村岡桃佳選手、松永仁志選手兼監督との対談は7月30日付朝刊スポーツ面の「慎吾とゆくパラロード」でも、1ページを使って紹介します。

 懐かしい顔との画面越しの再会に、香取さんの表情が緩んだ。

 《平昌のこと覚えていますか?》

 村岡選手にも笑顔が広がった。

 《もちろんですよ。現地観戦していただいた韓国・平昌パラリンピックでは、会場から帰路についていたところをわざわざ私に会うために、戻ってきてくれましたよね。》

メダル獲得の瞬間を目撃

 この出会いはパラに携わる香取さんにとって、印象深い出来事だ。

 《競技を終えた選手とじかに触れ合い、メダル獲得の瞬間も見ることができた。もう喜び爆発で選手の躍動感や応援の楽しさを知ることができたんです。だから感謝しています。》

 そんなアルペンスキーヤーは現在、陸上車いすランナーとして21年の東京大会出場を目指している。

 香取さんは首をひねった。

 《どういうことなんですか?》

村岡選手「挑戦したかった」

 村岡選手はスキーから陸上挑戦への思いを語り始めた。

 《元々、パラスポーツを始めたきっかけが陸上でした。そこからスキーと出会い、メダルまで獲得できたんですけど、やっぱり陸上にも挑戦したい気持ちが芽生えてきたんです。19年春に挑戦をスタートし、東京大会出場を目標に取り組んでいます。》

 村岡選手をサポートするのが、松永選手だ。車いす陸上の実業団チームの監督でもある。練習参加の打診が舞い込んだ時は驚いたという。

 《パラリンピックではメダル一つでも取ればすごいのに、それをジャラジャラと五つも。あれだけの活躍をしたアスリートがなぜ陸上へ? これはすごい話がきたな、と。しかも岡山に。びっくりしました。》

 香取さんは大笑いだ。

 《でも、なぜ受け入れを?》

 松永選手は言った。

 《真剣さを感じたからです。我々のチームでは相当きつい練習をこなしています。預かる以上は選手側も本気でないと成り立ちません。》

 村岡選手と母親が練習拠点の岡山を訪れた際、松永選手はいったん席を外した。いばらの道を進む覚悟があるのかどうか、改めて親子で確かめてもらうためだ。席に戻った松永選手は村岡選手の覚悟を聞いた。

 《「本気でやりたい」と。その時の顔は緊張して泣きそうだったんですけど、真剣さは伝わってきた。だったらやろう、そう思えたんです。》

 村岡選手も当時を振り返った。

 《五つのメダルのうち金は一つ。要は4種目は負け。それなら陸上にかける時間をスキーに費やして22年北京でさらなる成績を、と周囲からも言われました。慣れない環境での陸上練習は想像していたより数倍つらい。でも、なぜ陸上に挑戦したかというと、やりたかったから。あきらめきれなかったんです。》

 本来なら陸上競技に専念し、東京大会を目指す予定だった。しかし新型コロナウイルスの影響で大会は21年に延期となり、22年には北京冬季パラが控える。両大会の出場権獲得へ、夏冬「二刀流」の挑戦が不可欠となった。それでも村岡選手に迷いはなかった。

 《本気で取り組んできた陸上を、コロナで大会が延期になったからといってあきらめられるかというと、できなかった。夏冬の競技を両立して、やると決めたんです。》

 香取さんはうなずいた。

 《刺激を受けます。グループが解散して、僕も新たな道を進もうと決めた。あれからもう3年。当時は恐怖もあった。だけれど、力を貸してくれるひとがたくさんいた。だから今の僕がある。思いのままに突き進むことも時には大事なんだよね。》

松永選手「自国開催は好機」

 47歳の松永選手にとっても後輩の強化とともに、自身の4大会連続出場は大きなチャレンジだ。

 《16年リオ大会後に一度は引退を考えました。でも自国開催での出場は、その時代に生きる選手だけに与えられたチャンスです。それを逃すわけにはいかなかった。ただ、ここまでくると自分のためだけに頑張るには限界がある。香取さんも感じていると思いますが、支えは応援。本当は一人一人に恩を返したいんですが、難しいので後輩たちに返すことにしています。》

 香取さんは言った。

 《ステキです。分かり合える部分がたくさんある。桃佳さんも、大変だけど、岡山に行ってよかったね。》

 《そうですね。まずは東京パラ出場を見据え、全力を尽くします。》

 松永選手も思いを語った。

 《世の中に明るい話題を届けるのもアスリートの仕事の一つ。その姿を見て元気になる方もきっといる。そこへ向けても頑張りたい。》

 香取さんは2人を見つめた。

 《ずっと応援しています。》(榊原一生)

 松永仁志(まつなが・ひとし) 1972年生まれ、大阪府堺市出身。高校2年時に事故で脊髄(せきずい)を損傷。91年から車いす陸上を始め、パラリンピックは2008年北京から3大会連続出場。16年リオ大会では陸上の日本選手団主将を務めた。同年に車いす陸上の実業団チーム「WORLD―AC」を立ち上げ、監督を兼任。後進の指導にも力を入れる。

 村岡桃佳(むらおか・ももか) 1997年生まれ、埼玉県深谷市出身。4歳の時に横断性脊髄(せきずい)炎の影響で車いす生活に。小学3年からチェアスキーを始め、高校2年時にソチパラリンピックに出場。早大在学中の2018年平昌大会でアルペンスキー女子座位大回転の金を含む五つのメダルを獲得。19年5月から陸上に本格挑戦。現在は早大大学院に在学。