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 今月18日午前、山北町の山北高グラウンド。平塚江南高は約8カ月ぶりの練習試合に臨んでいた。

 「颯大(そうた)、代打行けるか」

 試合の中盤、鈴木健太監督(25)が井上颯大主将(3年)に声をかけた。

 「行きます」

 3球ともフルスイング。球種もコースも覚えていないという。打席を終えると体が震えていた。

 2試合目。鈴木監督が「守備につくか」と聞いたが、もう無理だった。試合の途中でグラウンドを後にした。

 「帰るときは悔しさで涙ぐんでいた」。一緒にいた母親の智恵さんは言った。

     ◇

 昨夏の神奈川大会。井上君は2年生で唯一ベンチ入りを果たした、チームの要だった。誰にでも優しく、みんなに慕われた。7月11日の1回戦で敗退。その後立ち上がった新チームで主将に選ばれたのは自然な流れだった。

 翌8月。練習試合が終わってしばらく経っても息切れがとまらない。「軽い熱中症かな」と思った。

 だが次の日には青い大きなあざが左足のすねに現れた。痛みに耐えきれず、練習から帰宅後に救急車で運ばれた。3日後の8月13日、診断名を告げられた。

 「急性リンパ性白血病」

 水泳の池江璃花子選手が公表したのと同じ病名だ。

 「え、僕がなったの」

 医師は「野球に戻れるかは五分五分」と言った。両親の前ではめったに涙を見せない井上君が、肩で息をして大粒の涙を流した。

 学校で部員たちが集まり、鈴木監督がスマホの回線をつないだ。スピーカーから、震える声が響いた。

 「大好きな野球をしていたから、いち早く病気に気付けた」「いつか必ずチームに戻ってくるから、それまで待ってて欲しい」

 仲間たちは涙を流しながら、静かに耳を傾けた。

    ◇

 つらい治療が始まった。倦怠(けんたい)感や吐き気が止まらず、ベッドから起き上がれない日が続いた。枕には抜け落ちた髪が散らばった。体重は15キロも減った。

 だが一時退院すると練習に顔を出し、調子が良いとノックのボール渡しも引き受けた。試合では一番前で大きな声で応援した。

 主将代行の高橋宥大君(3年)は「みんなの前では、苦しい顔一つ見せなかった。颯大がここで頑張っているんだから自分も……と、いつも元気をもらった」と言った。

    ◇

 3月下旬。やっと退院したというのに、コロナ禍で学校は休校中。部活もいつ再開できるかわからなかった。先行きが見えぬ中、「受験に集中したい」と考える仲間もいた。

 このころ、井上君は、鈴木監督と交換していた野球ノートの隅にこう書いた。

 「みんなと思いっきり野球したい!せっかく野球できるようになったのに!早く会いたい、早く学校始まれー!あー悔しい、なんでなんだろ!絶対咲く!」

 「咲」は井上君が考えた新チームのスローガン。「一人ひとりの花を咲かせたい」。そんな思いがこもっていた。

    ◇

 今月18日の山北での試合の後、井上君は熱を出し、今も入院している。25日、井上君は病室から智恵さんにメッセージを送った。「スニーカーを持ってきて」。体調は上向いている。リハビリをするためだ。

 チームの初戦は8月6日。主将として必ず球場に立つ。「元気になってベンチに入りたい。野球部のみんなに感謝の気持ちを伝えたいんです」。それぞれの思いが詰まった、色とりどりの花を咲かせるために。(岩本修弥)