拡大する写真・図版塩江温泉少女歌劇の公演のフィナーレの様子(塩江町歴史資料館提供)

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 山並みや洋館を描いた舞台の上で、ドレスやレオタードの少女たちが息を合わせて踊る。高松市の塩江地区には戦前、少女歌劇団があり、「四国の宝塚」とも呼ばれた。

 塩江町歴史資料館に、舞台を撮った写真や絵はがきが展示されている。モノクロだが、きらびやかな飾りがついた衣装をまとい、化粧をしているのが分かる。ほかにも、サックスやチェロを演奏する少女、看板俳優の花屋富子の絵はがきも残る。

拡大する写真・図版温泉旅館「花屋」を写した絵はがき=塩江町歴史資料館提供

 資料館を運営する「安原文化の郷歴史保存会」によると、塩江は、高松方面とを結ぶ鉄道ができた1929年ごろから温泉街として開発が進んだ。

 旅館「花屋」が建ち、専属の「塩江温泉少女歌劇」が結成された。舞台の演芸場は、旅館の隣でビリヤードや大浴場も備えた「温泉館」にあった。桟敷席が設けられ、300人が入れた。

拡大する写真・図版塩江温泉少女歌劇の公演を写した絵はがき=塩江町歴史資料館提供

 当時の舞台を見た人たちの記録によれば、10~20代の少女たちが集まり、宝塚歌劇団のように歌や踊りを披露した。約30人が2組に分かれて活動し、ジャズバンドもあった。

 少女たちは、演芸場の裏手にある寄宿舎に住み、稽古を積んだ。本場の宝塚から講師を招くこともあったという。シナリオを書く専属の作家もいて、演目は「鬼退治」や「一寸法師」「カモメの水兵さん」など。1カ月ごとに入れ替える形で1日2回、年中無休で上演された。

 幼少期に公演を見た地元の蓮井晃子(てるこ)さん(89)は振り返る。「女性たちが足を上げて踊り、最後は旗が下りてきて、日の丸を持って終わった」

拡大する写真・図版「行基の湯」の足湯を楽しむ人たち=2020年7月8日午後3時24分、高松市塩江町安原上東、石川友恵撮影

 1月に94歳で亡くなった夫の正文さんも、たびたび公演を見に行っていた。2人で当時の思い出話をよくした。「思えば、昔の塩江には宝塚のような舞台もあったし、食堂とか散髪屋とか何でもあった。山のほうなのに、まるで大阪や東京に行く感じだった」と懐かしむ。

 歌劇団は、太平洋戦争直前の40年になくなった。その後、演芸場があった温泉館も取り壊され、旅館「花屋」も焼失。舞台に立っていた少女たちの出身地などの記録は残っておらず、歌劇団を見たことがある人も少なくなった。

 旅館の跡地には、温泉施設「行基の湯」が立つ。無料で入れる足湯もあり、疲れを癒やしに今も多くの人が訪れている。(石川友恵)

拡大する写真・図版温泉旅館「花屋」の跡地には「行基の湯」がある=2020年7月8日午後3時21分、高松市塩江町安原上東、石川友恵撮影