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迫る!本能寺の変㊦

 この10年、戦国時代の研究が急に活発化した。パソコンを活用した大量データの収集・分析の進歩や新資料の発見、研究者の増加などが背景にある。

 戦国時代に対する認識も大きく変化してきた。特に「天下」の概念の転換が果たした役割は大きい。この時代の「天下」は「全国」ではなく、京都を中心とした畿内近国を指し、織田信長の「天下布武」も、上洛(じょうらく)して幕府政治を安定させる意図だったという。

本能寺の変の原因をめぐる諸説について、信長の業績や生き方を20年以上研究する滋賀県立安土城考古博物館学芸員の高木叙子さんに寄稿してもらった。3回にわたり掲載します。

 信長が自ら用いたスローガンはむしろ「天下静謐(せいひつ)」で、平和を維持するために諸勢力と戦っていたという考えも、市民権を得てきた。信長や家臣たちの具体的な動きや役割、地域支配の方法の解明も進む。

 これらの変化を受けて、新たに提唱されるようになった本能寺の変の原因が、次の3説である。

 「構造改革反発説」は信長が国衆(くにしゅう)から戦国大名、天下人へと地位を高める中で新たな支配体制を次々と構築したとし、その構造改革への反発が、謀反の原因となったとする考え方だ。

 信長は、石高(こくだか)制と…

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