拡大する写真・図版いまも保管している加藤洋一さんらの写真を見せる山口美代子さん=2020年7月28日、福岡市、長沢幹城撮影

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 4枚の白黒写真をファイルから取り出す。学生帽をかぶり、詰め襟にマントを羽織り、下駄(げた)を履く男子学生たち。「女学生の憧れだったって、後で聞いたのよ」。福岡市の山口美代子さん(89)の声が弾む。

 長崎県立長崎高等女学校の3年生だった山口さんは、長崎市の三菱兵器大橋工場に動員され、魚雷の部品の図面を複写していた。そこで同僚として、2カ月間をともにしたのが旧制第七高(現鹿児島大学)の学生だった。

拡大する写真・図版山口美代子さんがいまも保管している男子学生の写真=長沢幹城撮影

 戦時中、長崎には魚雷や防雷具などを作る兵器工場があった。戦況が悪化して労働力が不足するなか、1944年に「学徒勤労令」が発令され、中等学校以上の学生は軍需工場などに動員されることに。長崎原爆戦災誌によると、九州帝国大学や旧制第五高(現熊本大学)などからも学生らが動員された。

 人生論や学生寮の話。空襲警報で近くの山に避難した時や昼休みには、寮歌も教わった。ちょっと年上の七高生たちがまぶしい。戦時下、男女交際は「不良」と思われる。自分のサイン帳に恋文のようなメッセージが書いてあったのを見つけると、すぐにサイン帳を隠した。

 そんな七高生の中で、仕事を通…

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