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 毎年8月6日朝、広島市の平和大通り沿いにある広島信用金庫本店(広島市中区)の屋上に、役員が顔をそろえる。

 昨夏、武田龍雄理事長(68)らは屋上で原爆死没役職員慰霊碑に手を合わせた。1977年に建立された慰霊碑は、原爆投下の3カ月前に設立されたばかりだった同金庫が直面した苦難を今に伝える存在だ。

 45年5月1日に発足。本部は広島市横川町3丁目(現・西区)に構えた。同年8月6日の原爆で経営トップの組合長(現在の理事長)や専務理事を含む役員・職員計48人が犠牲となった。本部を含めて9カ所あった店舗のうち、5店舗が全焼、4店舗が半倒壊という壊滅的な被害を受けた。

 鉄筋コンクリート造りだった本部の建物は、内装が大きく損傷したものの、焼けずに残った。

 原爆投下から4日後、本部は営業を再開する。交通手段が寸断され、職員の安否も分からない中での営業再開だった。

 当時の経理課長は妻が行方不明のままだったが、自宅の焼け跡に埋まった本部の金庫室のカギを必死になって捜し出した。

 本部の建物は救護所として被災者を受け入れた。入りきれない重症者は屋外に寝かされた。来店者のほとんどは通帳や印鑑が灰になっていたが、顔見知りの職員が母印と念書で支払いに応じた。

 そんな被爆直後の様子が戦後50年の節目に編まれた「広島信用金庫五十年史」に詳しく記されている。

 92年秋に設立された「50年…

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