慰霊碑は「工事の邪魔」 平和大通り、かすむ原爆の記憶

有料会員記事戦後75年特集

宮崎園子、辻森尚仁
写真・図版
広島市中心部を東西に貫く「平和大通り」。手前左は平和記念公園。通り沿いの中電工平和大通りビル屋上から撮影=2020年7月17日午後、広島市中区、宮崎園子撮影
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 被爆から75年。「75年間草木も生えない」と言われた広島市の中心部を、緑豊かな大通りが東西を貫く。あの朝、一帯では作業に動員されていた多くの生徒らが原爆で犠牲になった。沿道に慰霊碑が点在するこの「平和大通り」がいま、岐路に立っている。市と地元経済界が打ち出した「にぎわいづくり」の計画に、遺族や被爆者らは懸念を寄せる。

 一帯では戦時中、空襲による延焼を防ぐために建物を解体する「建物疎開」が進んでいた。動員されていた旧制中学や高等女学校などの児童・生徒約3800人の大半が、原爆で犠牲になった。

 被爆から4年後、通りの整備が始まった。1957年には、市が呼びかけた「供木運動」で、さまざまな樹木が植えられた。犠牲になった生徒らの慰霊碑もあちこちに建てられた。

 市は平和大通りで、民間の活…

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