【動画】戦後75年。まだ間に合う。ことばを、かたちを、未来へ
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 平和記念公園に設けられた被爆者・遺族席。初めてそこに座った高東(たかとう)征二さん(79)=広島市佐伯区=はじっと目を閉じ、被爆者と認められず亡くなった人たちの顔を思い浮かべた。「みんなのおかげで、やっと風穴を開けられたよ」

 7月29日、広島の原爆投下後に降った「黒い雨」による健康被害をめぐる集団訴訟の広島地裁判決で、高東さんは「被爆者」と認定された。

 75年前、観音村(現・広島市佐伯区)の自宅にいた。突然の閃光(せんこう)と爆音。空は薄暗くなり、焼けた紙切れが飛んできた。その後、リンパ節の腫れや手足のできものに悩まされた。

 同級生からの相談をきっかけに、放射能の影響とみられる病に苦しむ人々の話を聞いて回った。2002年、地元で「黒い雨の会」を発足。訴訟を支援する会の事務局長も務める。

 国の援護を受けられないまま死んでいく人たちを見てきた。被害を訴えた18年間、「その人たちの代弁者」として生きてきた。

 今年、式典には参列しないつもりだった。「会場には国の人がおる。いら立つでしょ」。でも、判決で気持ちが変わった。

 自身も高血圧性心疾患を患う。司法の場で、原爆によるものと認められ、初めて迎える8月6日。「自分は間違ってなかった。やっと確信が持てました」(新垣卓也)