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 高松市の小比賀(おびか)順子さん(60)は、被爆者の母を3月に亡くした。香川県の遺族代表として平和記念式典に参列する予定だったが、新型コロナウイルスの感染が拡大する中、悩んだ末に広島行きを断念した。

 6日、高松市の自宅で母洋子さんの遺影を抱え、式典のテレビ中継を見つめた。午前8時15分には静かに目を閉じた。

拡大する写真・図版テレビの前で黙禱(もくとう)する小比賀順子さん=2020年8月6日午前8時15分、高松市香南町吉光、木下広大撮影

 75年前、母は14歳だった。山口県の病院に衛生兵として派遣されていた兄に会った帰り道、広島に立ち寄り、入市被爆した。「川に死体がぷかぷか浮かび、路上に積まれた死体の脇で真っ赤な花が咲いとった」。当時の光景を語っていた。長く人工透析を続けてきたが今年3月、体調を崩して入院。89歳になる前日の同月31日に亡くなった。

拡大する写真・図版米寿のお祝いで笑顔を見せる小比賀洋子さん=2018年12月、高松市、小比賀順子さん提供

 「親が被爆したということは言うたらいかん。差別されるから」。小比賀さんはかつて、母にそう言われた。不安や引け目は感じなかった。むしろ被爆2世として「戦争はだめだ」と訴える使命があると考えてきた。

 市役所に40年勤め、今春で定年を迎えた。5月、被爆者の体験を語り継ぐ「被爆体験伝承者」という広島市の事業に応募した。

 第二の人生を「伝承者」として生きる――。思いを新たにするため、広島行きを心待ちにしていた。だが、新型コロナの感染が再拡大。周囲から「行かない方がいい」と言われ、悩んだ末に断念した。

拡大する写真・図版母の遺影を抱いて黙禱(もくとう)する小比賀順子さん(右)と姉の林久江さん=2020年8月6日午前8時15分、高松市香南町吉光、木下広大撮影

 被爆体験伝承者として認められるためには3年間の研修などが必要だが、コロナ禍でスケジュールが決まっていない。「もどかしいが、まずは本を読んで学びたい」(木下広大、宮崎園子

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