「幻でない」静岡が備えた本土決戦 内陸を向くトーチカ

有料記事戦後75年特集

中村純、菅尾保、石原幸宗、長谷川智
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 一見、平和な風景にも、よく見ると戦争の記憶を呼び起こすものが今もたくさんあります。地下壕(ごう)、海中での特攻兵器の格納壕、トーチカ、凱旋(がいせん)門……。当時の人たちはこの静岡で何をしようとしていたのでしょうか。静岡県内の記者たちが戦争の遺構を訪ね歩き、地元の人に話を聞きました。

日本平 本土防衛へ多数の地下壕

 びくびくしながら山の急斜面をロープ伝いに下りると、ようやくその穴にたどりついた。間口の大きさは直径1.2メートルほど。かがんで中に入るとU字形の空洞が広がる。長さは10メートルぐらい。四方をねっとりとした赤土が覆う。75年前、本土決戦のために掘られた地下壕だ。

 この壕は、日本平(静岡市)の中腹付近にある。頂上とふもとをつなぐパークウェイの道端に車を止め、地元の男性(72)の案内で7月中旬に現地を訪れた。「ここらへんは地下壕だらけ。でもほとんどが崩れてしまっている」

写真・図版

 1945年。敗戦の色が濃くなるなか、国内では本土防衛の機運が急速に高まっていた。敵上陸に備え、海岸線を抱える自治体には「陣地構築」が命じられた。静岡でも多くの市民や学生が作業に動員された。

 当時、旧制清水中学校(現清水東高校)生の沢井毅さん(91)=静岡市清水区=もその一人だった。「6月でした。穴掘りに行けと中学校の先生から言われました。日本平にあった(旧清水市)火葬場の向かいの現場まで自転車で3キロの山道をこいで行き、スコップを借りて朝8時から夜8時ごろまで10日間ぐらい働きました」

 「掘ったのは12人ぐらいが…

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