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 フォトジャーナリストの安田菜津紀さん(33)は、高校時代に訪れたカンボジアでの体験によって、その後の人生が大きく変わったという。アジアへの思いや、海外へ踏み出すことの意味について語ってもらった。

 安田さんがカンボジアに行ったのは2003年。高校2年生の夏休みだった。NPO「国境なき子どもたち」の交流事業で、現地の同世代の生活を取材した。中学の頃に父と兄を亡くし、「家族とは何か」と悩んでいた。当時は海外に興味があったわけではないが、「まったく異なる環境に生きる同世代の家族観に触れれば、何か答えがあるのではないか。そんな自分本位な思いだった」という。

 国境を接するタイからカンボジアに徒歩で入ると、大人や子どもが手を出してお金を求めてきた。地雷で手足を失い、職につけずに街中にいる人をたくさん見た。「教科書や本で読んだ話ではなく、目の前の人が被害にあっているということが強烈な経験だった」

拡大する写真・図版安田菜津紀さん(本人提供)

 帰国後、学ばせてもらうだけでなく、何かお返しができないか考えた。思いついたのが、五感で触れたカンボジアを少しでも多くの人と共有することだった。同世代にこそ伝えたい。自分が撮った写真をプリントアウトして学校の教室で見せると、しゃべったことがないクラスメートが話しかけてきた。「写真は無関心だったものを関心の側に引き寄せてくれる。自分がやりたい手段はこれかもな、と思った」

 カンボジアは「人のつながりがゆるやか」という印象があった。信号待ちをしているバイクの運転手同士が、昔からの友人のようにしゃべりあっているが、実はあかの他人だった。そんな感覚が新鮮だった。

 一方、日本に帰って来ると、見慣れていたはずの風景に初めて強烈な違和感をもった。「東京には人間がたくさんいるのに、目も合わせずせかせかと歩き去っている。人がたくさんいるのに、なんで寂しいという感覚を自分は持っているんだろう」。カンボジアで体感したゆるやかなつながりを、自分の周りでも実践していきたい。そのためにはカンボジアから学ぼうと、大学生になってからもアルバイトをしてお金をためては、通った。

 1987年生まれ。フォトジャーナリストで、NPO法人「ダイアローグフォーピープル」の副代表。日本のほか、東南アジア、中東、アフリカで難民や貧困、災害を取材。東日本大震災後は、陸前高田市を中心に被災地を記録している。著書に「写真で伝える仕事 世界の子どもたちと向き合って」(日本写真企画)など。

 知らない世界に行くというのは怖いことだ。初めてカンボジアに行った時は、不安が大きかった。「実際に現地に行って、こまやかに見ていくと必ずそこには日常があって、私たちといろんなことが同じなんだと気がつく。子どもたちが学校に行ったり、友人とけんかをしたり、家族との時間を大切にしたり。どちらかというと、共通することの方が違いよりも多いんだなと気づける。怖さを乗り越えた先に充実した学びがある」

 日本国内では若者が「内向き」…

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