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 75年前の長崎への原爆投下後、「最初の報道記録」とされるルポルタージュの原稿やメモが見つかった。ルポを書いたのは詩人の東潤(ひがしじゅん)氏(1903~77)。被爆地の惨状をつづった直筆原稿には、伝える際の苦悩や葛藤が垣間見られる。

 長男の昭徳(あきのり)さん(78)によると、東氏は山口県出身で、北九州を拠点に活動。シュールレアリスムの詩を作り続け、戦後は九州文学同人による「九州書房」に勤め、火野葦平や岩下俊作、劉寒吉らと交流した。

 東氏は長崎に原爆が落とされた45年8月9日、旧日本軍西部軍報道部員として調査のため現地に向かった。カメラマンの山端庸介氏と画家の山田栄二氏も報道部員として同行。文章は「原爆の長崎ルポルタアジユ 浦上壊滅の日」として、52年出版の「記録写真原爆の長崎」に一部が、55年の「九州文学」の8月号に全文が掲載された。

 長崎市が編纂(へんさん)する長崎原爆戦災誌には「最初の原爆報道記録」とあり、一時は「幻の記録」とも言われた。連合国軍総司令部(GHQ)の言論統制などで埋もれていたからだ。

 ルポによると、8月9日午後3時に列車で博多駅を出発した東氏が、長崎市の道ノ尾駅に着いたのは翌10日午前3時。長崎に近づくにつれ、上り列車は大やけどを負った人であふれ、浦上は「世紀の大暴風が去つた三日月の下にひらく死の沙漠であつた」。爆心地近くで茫然(ぼうぜん)とする30歳ほどの女性が持つバケツには、女の子の首が入っていた。

 「もはや、この惨状に対して、…

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