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【朝日新聞ポッドキャスト】被爆75年 託すメッセージ 浦部豊子さん

 広島と長崎に原爆が投下されてから75年。朝日新聞ポッドキャストは、被爆者の証言を音声の形で後世に残す取り組みを進めます。今回の取材は筆談で行ったため、記者の問いかけは録音されていません。どんな質問をしたのか、想像しながら聞いていただければと思います。

 お話をうかがったのは、浦部豊子(うらべ・とよこ)さんです。取材をした朝日新聞長崎総局の榎本瑞希(えのもと・みずき)記者に聞きました。

Q:この方はどういう方ですか。

A:浦部さんは90歳。75年前、長崎で、爆心地の北1・3キロにある兵器工場にいて被爆しました。当時、同級生とともに学徒動員され、魚雷をつくっていました。

 戦後、浦部さんは近所に住んでいた義勝(よしかつ)さんという男性と結婚します。結婚してから、実は義勝さんが同じ工場にいたことを知りました。

 この工場や造船所では少なくとも約4千人の方が亡くなり、慰霊碑が長崎市内に建てられています。

Q:今回の音源は、いつどこで録音したものですか?

A:7月、長崎市内のホテルの喫茶室で録音したものです。浦部さんは難聴のため、私がノートに質問を書き、浦部さんに答えてもらっています。このようなインタビューをしたのは初めてでした。

悩んだ末、被爆の沈黙破った人 中には語れない悲しみも
朝日新聞は被爆者の方々にアンケートを依頼し、体験や思いを記事にしてきました。その中には、浦部豊子さんもいます。

Q:証言の中で、どんなところに注目したらいいですか?

A:義勝さんがなぜ、被爆体験を語らないのかということです。語り部をする豊子さんのことを義勝さんは応援してくれますが、ご自身はほとんど、公の場で原爆のことを語りません。

 浦部さんご夫妻の話を聞いていると、原爆の被害がいかに大きいものだったかが想像できるような気がします。

【朝日新聞ポッドキャスト】被爆75年 託すメッセージ 浦部豊子さん