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 1945年8月9日午前11時2分――。太平洋戦争末期、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」が投下した原爆は、長崎市上空500メートルで炸裂(さくれつ)した。広島に続く人類史上2度目の、そして今のところ最後の市民らへの原爆投下。長崎では、この年のうちに約7万人が亡くなったとされる。

 以降、毎年めぐってくる祈りの日。今は大阪府寝屋川市で暮らす今井セイ子さん(75)は、複雑な思いとともにこの日を迎えてきた。産声を上げたばかりの今井さんが、被爆者となった日でもあるからだ。

 被爆時の記憶はもちろんなく、被爆者であることも5年前までは積極的に周囲には明かしていなかった。だが被爆者の平均年齢が83歳を超え、ますます困難になる記憶の継承。いまは語り部として活動する今井さんは、改めて決意した。「私が生まれた日に命を奪われた人々に代わって、原爆の恐ろしさを伝える」(核と人類取材センター・武田肇)

 今井セイ子さん(75)はその日午前7時、長崎県長与(ながよ)村(現長与町)の農家で生まれた。原爆投下はその約4時間後。爆心地から約6キロ離れていたが、爆風でかやぶきの自宅は倒れそうになり、天井から落ちてきたすすに埋もれていたところを母が助け出した。

 原爆についての最初の記憶は、…

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