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(9日、大阪独自大会 大阪学院大9-6近大付)

 四回から二番手として登板した近大付の田中湧希(ゆうき)君(3年)は、回を重ねるごとに調子を上げていった。

 一球を投じるごとに、「おりゃあ!」「よっしゃあ!」と叫ぶ気迫のピッチングで、八回までを無失点に抑えた。「投げているうちに試合に入り込み、楽しくなっていった」

 小学2年の時、少年野球チームに入った。父、敏晃(としあき)さんは朝から晩までノックの相手を務め、試合はいつも応援に駆けつけた。

 6年生の時、その父ががんだと知った。亡くなる2週間前だった。

 葬儀で父の棺が閉じられる瞬間、田中君は大きな声で言った。「絶対甲子園に行くからね!」

 父に言いたいことはほかにもたくさんあった。ただ、野球をする自分をずっと応援してくれていた父には、一番伝わる言葉だと思った。

 中学でもクラブチームで野球を続け、高校は母、亜津子(あつこ)さん(48)と相談して父の出身校である近大付を選んだ。

 入部した年、近大付は夏の南大阪大会で優勝した。周りの選手のレベルは高く、「自分が一番下手だった」。人一倍練習しなければ。誰よりも走り込み、トレーニングに励んだ。

 努力は実を結び、昨秋の新チーム発足後は背番号10番を託された。冬の間も練習後、チームメートに見られない坂道を走り込んだ。「自分でも自信を持てるくらい、頑張り抜いた」

 高校最後の夏、甲子園はなくなった。「一生懸命やってきたことは変わらない。試合に出て、ここまで育ててくれた母に感謝を伝えよう」と前を向いた。

 田中君がマウンドを降りた後、試合は延長タイブレークにもつれ込んだ。敗戦が決まっても、田中君の目に涙はなかった。

 「3年間、やってきたことが十分出せた」

 応援していた亜津子さんは「みんなに助けられてここまできた。本当に自慢の息子です」と目を細めた。(浅沼愛)