拡大する写真・図版草原の砂を、風が舞いあげていた=2019年5月27日、モンゴル東部、水野義則撮影

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川畑博信上等兵 ノモンハン従軍記2

 ソ連軍の攻勢の前に、「バルシャガル高地」まで押し戻された川畑らは、1939年7月末から1カ月近くもの間、「タコつぼ」生活を余儀なくされた。そして8月20日、ソ連軍の総攻撃が始まる。

 「築城」を命じられ、俺たちはバルシャガル高地の一角、周囲が小高く盛り上がった広い盆地に陣を敷いた。連日繰り返された砲撃はものすごかった。陣地の中も周辺も、1メートル四方に砲弾の落下穴がないところはなかった。

プレミアムA「一兵卒の戦場」
日本が初めて近代戦に直面したとされるノモンハン事件。このシリーズは現地調査や最新の知見も交え、当時の日本が直面した戦争の諸相を浮き彫りにします。全3章です。

 砲撃の射程外へ出て陣地を設営する案も出たそうだが、結局みすみす砲撃の餌食になるのを承知で、安全なところまで下がらずに持久戦を準備させられた。兵の命よりも関東軍のメンツが優先されるというわけだ。身を隠すものが何一つない草原では、スコップで掘った1人用のタコつぼだけが頼りだ。命の次にスコップが大切だった。

拡大する写真・図版草原に残っている、道しるべのような「オボー」=2019年5月24日、モンゴル東部、水野義則撮影

壕の中で1人飯を炊く

 場所と掘り方が直接命に関わるから、敵弾の方向、地面の傾斜等に細心の注意を払った。だいたい胸までの深さに掘り、土を壕の周囲に積み上げる。この盛り土は砲弾の破片を防ぐためだ。背囊やスコップは壕の周囲に並べて置く。鉄帽をかぶってあぐらをかけば、頭上に1尺(30センチ)余りの空間ができた。

 壕の中で1人で飯を炊いた。かすかな煙でもたちまち砲弾が飛んでくる。だから乏しい燃料で煙を立てずに飯を炊く必要があった。非常に難しかったが、いつの間にか上手になった。

 砲撃でこちらの人員は減っていた。俺が所属していた中隊は、写真に写っていたハイラルからの進軍時の120名から3分の1ほどになってしまった。手帳に戦死者と負傷者の名前を書きつけていたのだが、あまりに多いのでやめた。

 とにかく砲撃の物量差は圧倒的だった。兵が1人で歩いているのを銃で狙撃するのは当たり前だが、敵は野砲で狙撃してくる。近代戦は大和魂だけでは戦えないと痛感させられた。

眼前で壊滅

 8月20日は久しぶりの快晴だ…

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