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 甲子園交流試合で11日に登場した創成館(長崎)の遊撃手、松尾力基(りき)選手(3年)はいつも、祖父の勝美さんの遺骨が入った瓶を近くに置いている。「じいちゃんに甲子園での勝利を」。夢をかなえた。

 勝美さんには、幼い頃から野球用具を買ってもらった。高校入学後には、練習用木製バットをプレゼントされた。

 1年の夏、1年生で唯一のメンバー入りを果たし、甲子園の土を踏んだ。大差をつけられた初戦の最終回に代打で出場したが、三振。甲子園はあっという間に終わった。

 勝美さんは三塁側アルプススタンドから孫の初舞台を見守った。「また来たいな」。家族にそう言った。

 勝美さんは、その後も練習や試合にかけつけてくれた。昨秋も、九州大会で佐賀市に来てくれた。松尾選手にはこの時、祖父がやせているように見えて気になった。がんに侵されていた勝美さんが、自分に知らせぬよう周囲に頼んでいたことは、後で知った。

 見守る祖父の前で、試合中に各選手に指示を出すゲームキャプテンの役割を果たした。チームは4強入りし、選抜大会への切符をつかんだ。

 1年夏以来の甲子園が決まった1月下旬。母の理恵さん(46)から祝いの電話を受け、「じいちゃんに替わる」と言われた。大好きだけど、なぜか最近弱っているように見える祖父。何を話していいか分からず迷っているときに、電話に勝美さんが出た。

 「甲子園行けるかわからないけど、楽しみにしとるけん」。絞り出すような声だった。「じゃあがんばるわ」。それしか返せなかった。最後の会話になった。

 選抜開幕を約1カ月後に控えた2月24日。勝美さんは71年の生涯を終えた。福岡での合宿から急いで戻った松尾選手は、布団に横たわる勝美さんを見て、練習着のまま泣き崩れた。

 「じいちゃんのために甲子園で勝つ」と誓った選抜は、コロナ禍で中止に。4カ月以上待たされた甲子園でこの日、難しいゴロをさばき、安打を放ち、盗塁した。本塁も踏み、勝利を収めた。

 「じいちゃんに活躍できたよと伝えたい」。報道陣に笑顔で語った。勝美さんの遺骨の瓶は試合後、ズボンの右ポケットに入れていた。(米田悠一郎)