[PR]

 甲子園交流試合で11日、明豊(大分)と対戦した県岐阜商は、この日が今夏唯一の公式戦となった。校内で新型コロナウイルスの感染者が出て、岐阜県の独自大会を辞退したためだ。コロナ禍にほんろうされた夏の最後に、球児たちは甲子園で無心で白球を追った。

 午後3時すぎ、灼熱(しゃくねつ)の甲子園。県岐阜商のメンバーたちはかけ声とともにグラウンドに駆けだした。待ちに待った夢舞台だ。

 県の独自大会の開幕が雨天で延びていた7月15日。県岐阜商の教員の感染が発覚した。生徒らの感染が相次いで判明し、クラスター(感染者集団)が発生したと判断された。休校になり、独自大会は初戦から辞退せざるを得なかった。

 3月中旬から3カ月間、コロナ禍で部活動を休止していた。再開できて1カ月での感染発覚だった。

 独自大会辞退の際、鍛治舎(かじしゃ)巧監督は部員にLINEで伝えた。「耐えてきた3カ月と同じ。しっかりと体をつくれ」。前任の秀岳館(熊本)を春夏4季連続で甲子園に導いた名将は、部員に語りかけた。「どんなにがんばっても、人の力が及ばないことはある。人生の教訓を得た。この先の人生に生かしてほしい」

 7月下旬、校内の感染は収まったと判断された。7月29日、交流試合の実行委員会で、県岐阜商の出場の方針が確認された。

 30日に練習は再開された。ただ、甲子園までに組めた練習試合は3回だけだった。交流試合を目前に、佐々木泰主将は言った。「自分たち3年生にはこの1試合しかない。チームで、『この1試合で出し切ろう』と話し合った」

 迎えた甲子園。失策が五つ出たが、徐々に調子を上げた。九回には、佐々木主将が交流試合第1号となる本塁打を放ったが、及ばなかった。

 佐々木主将は休校中、県の独自大会を見て、野球をしたいという思いを募らせていたという。「その思いはこの1試合で出し切れました」。最後に笑顔を見せた。(板倉吉延)