[PR]

 甲子園交流試合で12日に登場した中京大中京(愛知)は、甲子園で春夏11回の優勝を誇る。半世紀前に中京商時代の同校を春夏連覇に導いた名将の孫、杉浦文哉選手(3年)が、甲子園の土を踏んだ。この日はくしくも、「あこがれ」である祖父の命日の前日。夢舞台に立った。

 7番右翼で先発。初回から打席にも立った。

 祖父は、1966年に中京商を史上2校目となる春夏連覇に導いた故・杉浦藤文(ふじふみ)監督だ。同校OBで、59年春には1番打者として選抜優勝にも貢献した。

 「祖父の影響もあり、高校は中京以外全く考えていませんでした」と文哉選手。固い決意で入学したが、周囲のレベルは高かった。昨春の時点で2軍チームの控え。試合に出られずスタンドで応援することも多かった。応援席にいるとOBが文哉選手のもとに来て、「トウブン(藤文さんの愛称)さんの孫か」「おじいちゃんはレジェンドだよ」と声をかけられた。

 入部以来、目標は祖父と同じ甲子園の舞台に立ち、日本一になることだった。「とにかく練習するしかないと思いました」。持ち味の打力をアピールしようと毎朝5時前に起き、学校に一番乗りして自主練を重ねた。今村陽一部長の評価は「練習の鬼」。2年秋に背番号を勝ち取ると、県大会3回戦は代打でサヨナラ安打を放った。高橋源一郎監督も「ここぞという時に打つ選手になってくれた」。

 藤文さんが58歳で亡くなったのは99年8月。文哉選手が生まれる前のことだ。「レジェンドの孫」と言われることに、「プレッシャーを感じることもあります」と素直に明かすが、「中京のユニホームで甲子園の舞台に立てるのもおじいちゃんのおかげ。憧れの人で、ずっと目標です」。

 チームのユニホームは、昨年から伝統の「立ち襟」に戻った。祖父が甲子園に出ていた頃と似た姿でグラウンドに立つという巡り合わせになった。周囲は「顔も似ている」と言う。

 将来は、祖父と同じ高校野球の指導者になることが夢という文哉選手。「OBの方から、祖父は人間的に懐の広い人だとも聞いているので、そういう指導者になれるようにしたい」。この日は3打数無安打に終わったが、「野球を始めた頃からの目標だった甲子園の土を踏めて感動した。緊張して打てなかったのは反省点。明日墓参りして『同じ場所に立てました』と祖父に伝えたい」と話した。(小松万希子)