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 甲子園交流試合で、12日に登場した鹿児島城西の古市龍輝主将(3年)は、小学校卒業と同時に生まれ育った屋久島を離れ、野球に打ち込んできた。あこがれの父の言葉を胸に、たどり着いた夢の舞台を駆けた。

 島の町役場に勤める父の誠一郎さん(48)は、職場チームの中心選手だった。幼稚園に通う頃、父の本塁打を見た。大空に吸い込まれるような打球。「かっこいい。僕も打ちたい」

 平日は共稼ぎの両親の帰りを待ちながらの壁当てに熱中し、休日は父とキャッチボール。小学生の時、地元のソフトボールチームで頭角を現すようになった。

 うまくなりたい。「野球留学」を決意し、鹿児島本土の強豪中学を受験した。「自分で決めた進路。やるからには全国大会出場を」。父に励まされ、海を渡った。

 親元を離れての寮生活。寂しさに耐えて練習に励んだ。中3の夏に全国大会で16強入りし、鹿児島城西へ。プロ野球で活躍した佐々木誠監督に「思い切り振れ。本塁打を打て」とたたき込まれた。

 野球だけでなく、全てに「手を抜かない」ことを心がけた。ゴミを拾ったり、スリッパをそろえたり。疲れていても授業中は居眠りしない。日々の乱れがプレーに出る。そんなことでは故郷の両親の期待に応えられない。そう思った。

 主将で臨んだ昨秋の九州大会で2本塁打を放ち、同校初の甲子園を引き寄せた。それがコロナ禍で中止に。夏の大会も見送られた。チームはバラバラになりかけ、仲間にどう声をかけるか自問自答する日々の中、交流試合が決まった。

 迎えたこの日。試合前、父から「悔いのないよう仲間と一緒に全力で」と背中を押された。母の千代美さん(42)も「最後の最後だから楽しんで」と電話で言ってくれた。スタンドで見守る2人の前で安打を放った。本塁を突いたが、届かなかった。

 惜敗。試合後に両親への思いを問われ、「快く送り出してくれた両親がいたからここに来られた。本当に感謝の思いしかない」。涙がこぼれた。甲子園はどんなところだったか。「試合を楽しんで、自分の持っている全力は発揮できた。両親や応援してくれた人たちに何か残せていたら」。最後には白い歯がこぼれた。(三沢敦、平田瑛美)