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 冬の樹氷で知られる山形市の蔵王温泉スキー場。岡本太郎や白洲次郎も愛したこの地で戦時中、旧日本軍や帝大の研究者らによって、樹氷に関係したある軍事研究が行われていた。

 温泉街からロープウェーで蔵王連峰の中腹へ。さらに1キロほど歩くと、二つのリフト乗り場や山形大学の山寮がある標高約1350メートルのゲレンデに出る。この辺りにかつて「蔵王小屋」と呼ばれた山小屋があった。

 「陸軍気象史」などによると、太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年、旧日本軍の陸軍気象部は軍用機の墜落を防ぐため、蔵王小屋を拠点に「着氷」の研究や実験を始めた。

 着氷は、大気中の小さな水滴や水蒸気が冷やされ、物体にぶつかって凍結する現象。冬に樹氷ができる蔵王は、着氷の観察にうってつけだと考えられた。

 軍用機をはじめ高度数千メートルを飛ぶ航空機にとって、翼やプロペラへの着氷は墜落につながる脅威の一つ。蔵王には、翼の模型や小型の風洞が持ち込まれ、顕微鏡で氷のつき方などの観察が行われた。北海道のニセコや富士山頂でも、同様の研究が進められていたという。

 43(昭和18)年からは、文部省の「重要研究課題」として、研究者たちが陸軍に代わって蔵王へ。研究代表者には、世界で初めて人工雪の結晶を作った北海道帝国大学(現北海道大学)の中谷宇吉郎教授が就いた。

 当時の朝日新聞は、研究に関わった東北帝国大学(現東北大学)の加藤愛雄助教授が「屋外で観測中は身体に霧氷が出来たほど」「蔵王の樹氷は着氷の研究に無限の素材を提供している」などと語ったと報じている。加藤氏らは、ガラス棒に塗料を塗ったりして着氷の様子を調べていたとみられている。また、東北大と統合される旧制二高の学生が研究を手伝っていたことを示す資料も残る。

 これらの経緯は、蔵王の樹氷を研究する山形大学理学部の柳沢文孝教授(環境化学)が、樹氷の歴史を調べる過程で突き止めた。終戦時、加藤氏の実験資料は陸軍から破棄を求められたとされ、今もその行方を追っているという。

 柳沢教授は「学者や学生までも…

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