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【朝日新聞ポッドキャスト】被爆75年 託すメッセージ 寺田美津枝さん

 広島と長崎に原爆が投下されてから75年。朝日新聞ポッドキャストは、被爆者の証言を音声の形で後世に残す取り組みを進めます。記者とのやりとりも含めて、そのままお聞きください。

 今回は寺田美津枝(てらだ・みつえ)さんのお話。取材をした朝日新聞大阪社会部の新垣卓也(あらかき・たくや)記者に聞きました。

Q:この方はどういう方ですか。

A:寺田さんは広島に原爆が投下された当時、母トメ子さんのおなかの中にいました。トメ子さんは爆心地から約2キロ離れた広島駅の近くにいて、全身や両目にガラス片が突き刺さり、視力を失いました。

Q:大変でしたね。

A:その後のトメ子さんの苦労は筆舌に尽くしがたいほどだったと思います。焼き加減が目で確かめられないため焼き物はせず、油を使うのが危険だから揚げ物もしなかったものの、炒め物や煮物はちゃんと作ったそうです。原爆によって目が見えなくなった生活でも、弱音を吐かずに子育てをしたそうです。

Q:まだ小さかった美津枝さんも、思うところはあったんでしょうか。

A:目が見えない母のために、使ったものは必ず元に戻すとか、家族が自然と母を支えていたという話はとても印象的でした。寺田さんが母のことを語り出すと、「もっといっぱい苦労した人もいるのに、あえて前に出るのか」と言われたこともあるそうです。

Q:複雑ですね。

A:それでも寺田さんが「私はあえて出る。知って欲しいという気持ちの方が強いから」と言っていたのは胸が熱くなりました。

「きれいよ」そう言った母 私の命と引き換え、光失った
朝日新聞は被爆者の方々にアンケートを依頼し、体験や思いを記事にしてきました。その中には、寺田美津枝さんもいます。

Q:この音源は、いつ収録したんですか?

A:7月上旬、ご自宅で録音しました。

Q:どんなところに注意しながら聞いたらいいですか?

A:トメ子さんは約7年前に94歳で亡くなりましたが、寺田さんは母の死後、伝えたい気持ちが強くなったそうです。母のことを思い出しながら語る寺田さんの語りをお聞きください。