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【朝日新聞ポッドキャスト】被爆75年 託すメッセージ 高橋幸子さん

 広島と長崎に原爆が投下されてから75年。朝日新聞ポッドキャストは、被爆者の証言を音声の形で後世に残す取り組みを進めます。記者とのやりとりも含めて、そのままお聞きください。

 今回は高橋幸子(たかはし・さちこ)さんのお話。取材をした朝日新聞広島総局の東郷隆(とうごう・たかし)記者に聞きました。

Q:この方はどういう方ですか。

A:高橋幸子さんは、広島市に住む84歳の女性で、4キロ離れた自宅で被爆しました。別の場所にいた母親は大やけどで数日後に自宅で亡くなりました。真っ赤に焼けただれた姿に母親とは思えず、最後まで「お母さん」と言えなかった後悔を今も抱えています。

Q:父親はどうですか。

A:爆風で飛ばされて今も行方不明のままです。旦那さんの茂(しげる)さんも被爆者で、12歳のとき、爆心地から850メートルの学校で被爆し、強い放射線を浴びました。56歳で軟骨肉腫を患い、松葉杖が欠かせなくなりました。その後も大腸がん、皮膚がん、そして2013年に末期の肺がんと腎臓がんで80歳の生涯を終えました。

Q:きっと思い出も多いことでしょう。

A:茂さんは幸子さんとのお見合いから亡くなる2週間前までずっと日記をつけており、その数は40冊を超えます。そこには家族に決して見せなかった不安や病気の苦しみなどの「本音」が記されていました。「怖くて読めなかった」という幸子さんですが、今後じっくりと向き合い、「ある被爆者の記録」として平和記念資料館に寄贈できないかと考えています。

ついに読んだ日記、恐れていた異変が 被爆した夫の苦悩
「身をもって体験するまで核拡散は進んで行く」。夫の日記の一節に刻まれた言葉に、幸子さんが思いを語ります。

Q:貴重な記録ですね。今回の音源は、いつどこで収録したんですか。

A:6月から7月にかけて、幸子さんと茂さんが過ごしたご自宅のほか、お電話でお話を伺ったときのものです。自宅のソファの横には茂さんの松葉杖が今も立て掛けられ、仏壇には大好きだったコーヒーを毎朝供え、これもまた大好きだったクラシック音楽を流しているそうです。

Q:どんなところに注意して聞いたらいいですか。

A:核兵器がほかの爆弾と違うのは、浴びた放射線によって何十年とたってからがんなどが発症する点です。茂さんは生き残ったわずかな同級生が亡くなるたびに「次は自分の番か」と不安を日記に吐露していました。

Q:恐ろしいことですね。

A:ご夫妻は仲が良く、二人三脚で病気と闘ってきました。被爆から44年後に発病し、人生を大きく変えられた夫を間近で見てきた幸子さんは何を思ってきたのか。ぜひお聞きください。

【朝日新聞ポッドキャスト】被爆75年 託すメッセージ 高橋幸子さん