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 点呼を終え、チームメートも部屋に戻った午後10時ごろ。日本航空石川の菊池直哉(3年)は決意を胸に、寮の職員室で上田コーチと向き合った。「野球をやめます」

 甲子園を夢見て岐阜から入学。50メートル6秒2の俊足を生かした守備に光るものがあった。全国から有望選手が集まる中、主将を任された1年生大会が岐路になった。センターの浅い守備位置から二塁までの送球がワンバウンド。それが引き金となり、思い通りに投げられなくなる「イップス」に陥った。真下にバウンドする送球に「お前、ふざけてんのか」。冗談めかした周囲の言葉が笑えなかった。

 「もう、野球をする自信がない」。両親に打ち明けた。部も学校もやめるつもりだった。だが、コーチに辞意を伝えた数日後、中村監督から提案を受けた。「主務をやってみんか」

 葛藤も、プライドもあった。一方で「今やめるのは違うな」とも思った。粒ぞろいだが、「俺が俺が」のチーム。甲子園に行くには、一歩引いた存在が必要に思えた。

 腹をくくった。「俺にしかできんこと、やろう」。1年前の夏のことだった。

 生活が一変した。慣れない仕事に戸惑う中、自分が打つノックの打球に「実戦と全然違う」と、仲間は容赦ない。悔しくて、数百球を打ちこんだ。手のひらは選手時代より固くなった。

 今年1月、中村監督からノックバットをもらった。「自分の、持ってなかったやろ」。認められた気がした。縁の下で支えたチームに選抜切符も舞い込んだ。徐々にやりがいを見いだし、雪深い能登半島の雪が溶け始めるころ、主務の肩書は誇りに変わった。

 監督が2007年に指導に携わってから3度の甲子園で、部員がノッカーを務めたことはない。だが、今回は違った。「誰よりもチームのことを理解している」と、部員として初めてノッカーを任された。

 夢のような7分間の最後は、最も練習を重ねたキャッチャーフライ。「自分の高校野球、全部出し切れた」。上空で見事な弧を描き、捕手のミットに収まった。(河野光汰)