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日米核協議を読み込む②

 7月中旬、大阪府の近畿大に吉田真吾准教授(38)を訪ねた。揺れる国際情勢に応じ日米同盟が深化した経緯を研究。私は今回、1967年に日米安保高級事務レベル協議(SSC)が始まった頃の議事録などを外務省から開示されたが、吉田氏は当時にも詳しい。

 開示文書の中で異彩を放つ、68年の「日本のミサイル防衛と防空」。米側が「中国が日本を核攻撃、最悪1800万人即死」と想定した。吉田氏は「よく出ましたね」と感じ入り、「中国の核に不安を高めた日本を米国がなだめようとした、60年代の日米安保関係の延長にある」と評した。

拡大する写真・図版1968年1月の第3回SSCの日本側議事録。赤線での囲みは当初外務省が不開示にした部分で、中国核攻撃の被害想定をした「米側提出ペーパー」の存在も隠そうとしていた

 そんな際どい話をするSSCという場が、そもそもなぜできたか。米側は駐日大使や国務省・国防総省の幹部に在日米軍司令官、日本側は外務・防衛両事務次官に自衛隊制服組トップの統合幕僚会議議長という重厚な顔ぶれだ。

 「64年の中国の核実験が大き…

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