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 75年前の7月10日未明。当時、中学生だった男性(88)は突然起こされ、仙台市中心部の方角を眺めると真っ赤に染まっていた。

 庭に出ると、米軍のB29が次々と頭上を飛んでいく。「夜中だったが、炎で機体が照らされ、銀色にキラキラしていた」。「ヒュー」という音とともに焼夷(しょうい)弾がふり、近隣の建物が燃え出す。気づくと数発がそばに落下。自宅の防空壕(ごう)に逃げ込んだ。

 この日の仙台空襲では、爆撃機123機が2時間ほどにわたり、約1万3千発の焼夷弾を投下。約1400人が亡くなった。被災戸数は1万2千。男性は「中心部の建物がほとんど燃え、焼け跡の片付けに動員された」と話す。

 近くを広瀬川が流れる住宅地に…

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