榊原一生
朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーターの香取慎吾さんがさまざまなパラ競技に挑戦する「慎吾とゆくパラロード」。今回は、パラ水泳の全盲スイマー、木村敬一選手(29)と富田宇宙選手(31)と対談しました。世界のトップを争うライバルの2人とともに、コロナ禍の中での生活や相手への思いについて語り合いました。
木村、富田両選手がいすに腰掛け、声の方向に耳を澄ませた。
《初めまして、ですね。》
あいさつする香取さんの声色に、木村選手は柔らかな印象を抱いた。
《どこか話しやすそうな感じがします。少し安心しました。》
富田選手も1月の初対面の時に、同じような印象を抱いたという。
《最初にお会いした時から香取さんは自然体で、心のままに言葉を話されているように感じました。》
香取さんは少し照れくさそうだ。
《ただ僕はパラスポーツに興味があって、皆さんと純粋にお話がしたいだけ。自分を通じて一人でもパラを好きになってもらえたら、という気持ちで続けているんです。》
そんな香取さんが気がかりだったのは、アスリートである前に視覚障害者として送るコロナ禍の中での生活だ。目の見えないひとにとって「触る」という行為は必要不可欠。ただ、感染拡大を防止するため、今は可能な限り接触を避ける生活様式が広がりつつある。
《不自由が多いのでは?》
香取さんの質問に木村選手が答えた。
《僕らは置かれている物を触らずに認識することはできません。それを不自由に感じるぐらい制限してしまうと生活が成り立たない。そうしないと生きられないんです。》
触るという行為の重要性に改めて気づかされた香取さん。自身も「触れる」を大切にしてきた一人だ。
《僕の場合は握手です。ひとと手を交わすだけで色々なことが分かります。初対面で話しづらくても、体の一部に触れるだけで何十倍も知ることができます。今はそれができず、マスクで顔の表情も見えにくい。すごくつらいんです。》
富田選手は、助けを求めづらい今の状況を口にした。
《例えばコンビニで欲しい物があっても、店員さんに陳列棚まで来てもらって確認してもらうというお願いは、さすがに気を使います。》
木村選手も続いた。
《不便に感じることは多い。でも、しょうがない。僕ら障害者は仕方がないと諦めて許容することが、身についてしまっている。だからお茶と思って飲んだものがミルクコーヒーでも水分には変わりないからいいか、と思って飲むしかない。》
苦笑いの富田さん。
《ちょっとしたQOL(生活の質)の低下はある。できないことが多くて、皆さんからみたらかわいそうなのかもしれない。だけど僕らはその積み重ねで生きているんです。》
2人には困難を受け入れ、生き抜いてきた強さがある。それは競技においても変わらない。香取さんは改めて聞いてみた。
《東京パラリンピックが延期になったけど、そのときの思いは?》
木村選手は言った。
《まあ、そうだろうな、と。》
木村選手は東京大会での金メダル獲得を目指し、2018年に練習拠点を米国に移した。新型コロナの感染拡大で帰国を余儀なくされ、練習できない日々が続いた。
《延期になってしまったことは仕方ない。それよりも、来年に必ず開催されるの?と疑心暗鬼の中でトレーニングに励むのは苦しい。これまでとは違うスキルが問われます。あらゆる練習計画がひっくり返されても平常心を保つスキルです。》
富田選手も4月に練習拠点のナショナルトレーニングセンターが閉鎖されたため、地元熊本に帰省した。自粛期間は自宅の庭に簡易プールを設置して体を動かしていたという。
《不明瞭な目標に向かって日々の練習で追い込むのは難しい。ただ落ち込んではいません。じゃあどうすればいいのか、どうすればこの時間をプラスに使えるか。そういう風に考えることがくせになっている。それは、やはり障害と向き合ってきた経験があるからだと思うんです。》
東京大会に向けて、2人は強烈なライバル関係にある。最も障害が重い全盲クラスで世界1、2を争うトップスイマー同士だ。それなのに、一緒に合宿をして技術を共有し、会えばおしゃべりが止まらない。
香取さんもどこか仲良さげな雰囲気を感じとっていた。
《それぞれお互いのことをどう思っているの?》
まず、木村選手が語り始めた。パラリンピックでメダル6個の木村選手には、全盲クラスの第一人者という自負がある。そして、3年前に自身を脅かす存在として突如現れたのが、視力を失った富田選手だった。
《世界のトップ争いが宇宙さん(富田)と国内でできるようになり、常に刺激をもらっています。言葉を選ばずに言えば、速くなるための材料です。存在を利用させてもらっています。》
一方、富田選手はリスペクトの思いが強い。
《もちろん木村くんと同じように自分も刺激を受けています。でも僕にとって彼は水泳の大ベテラン。前回のリオ大会では木村くんの金メダルを心から願っていた。今も取れなかった悔しさをシェアしています。東京では木村くんに金を、と心底思っている。たまにそれでいいのかと悩むんですが……。》
見えない世界で長く戦ってきた木村選手と「新鋭」の富田選手。背景が違えば、得意な距離も木村選手は短距離、富田選手は中長距離だ。香取さんは言った。
《お互いに自分にない強みを持っているからこそ、特殊な関係性が成り立っているのかもね。》
木村選手は富田選手の方向を向いて思いを口にした。
《宇宙さんは僕の知らない「見える世界」を知っている。そして視力が徐々になくなる恐怖をも乗り越えてきた。そんな選手に応援してもらえるのはすごくうれしい。僕も尊敬しているんです。》
最後に木村選手が香取さんに聞いた。
《香取さんもグループで活動をされています。特殊なライバル関係があるような気がするのですが。》
香取さんは少し考えて答えた。
《んー、それがないんだよね。あえて言うなら草彅剛が浮かぶけど。ライバルと思ったことはないかな。年上だけど弟のよう。でもみんな1人だったら今の成長はないかも知れないね。1年後の大舞台での2人の競演、本当に楽しみにしています。》(榊原一生)
富田宇宙(とみた・うちゅう) 1989年2月生まれ、熊本県出身。3歳で水泳を始め、高校2年の時に進行性の網膜の病気で徐々に視野を失っていった。2012年にパラ水泳を始め、17年に最も重いクラスに変更。19年パラ水泳世界選手権400メートル自由形で2位。同100メートルバタフライで木村敬一に続き2位に。EYジャパン/日体大大学院所属。
木村敬一(きむら・けいいち) 1990年9月生まれ、滋賀県出身。先天性疾患により2歳の時に視力を失う。10歳で水泳を始め、盲学校の水泳部に所属。2008年北京大会からパラリンピック3大会連続出場。銀、銅それぞれ三つずつ計6個のメダルを持つ。18年からアメリカに拠点を移した。東京では悲願の金を狙う。東京ガス所属。
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