震えて書いた特攻命令書 「人殺しと一緒」95歳の後悔

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華野優気
【動画】太平洋戦争末期、特攻機に仲間の誰を乗せるかを指示する命令書をつくっていた男性が、当時の思いを語った
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 太平洋戦争末期、米軍の艦船に体当たりする攻撃で多くの命が失われた特攻。日本統治下の台湾で多胡恭太郎(たごきょうたろう)さん(95)に課せられたのは、どの隊の何機を特攻機として飛び立たせるかを指示する「命令書」作りだった。

 「敵機動部隊は沖縄慶良間沖に集結しつつあり」

 「我軍はこれ(敵艦)を捕捉(ほそく)殲滅(せんめつ)せんとする」

 岡山県北部、津山市にある多胡さんの自宅。筆ペンを手に取り、記者の前で、その「命令書」を一言一句、再現してくれた。

 『書くときは隊員の顔が頭に浮かんでな。お互い立場が違うから言葉こそ交わさんが、飛行場では気をつけをして敬礼してくれる。だからみんな知っとる顔じゃ……。何度も何度も書き直して。身が斬られる思いじゃった。人殺しと一緒じゃ。全部で10枚ほど書いた。20人以上はわしが飛ばした。人生で最もつらい経験だった』

 1945年春、陸軍第九飛行団は、台湾北東部の街・宜蘭(ぎらん)の基地に近い洞窟に司令部があった。当時19歳だった多胡さんは攻撃の計画を練る司令部中枢の作戦室に所属。明かりに照らされた洞窟の個室の机で、A4判ほどの書面に向かい、がくがく震えながら鉛筆を走らせた。

 第105戦隊など3部隊のう…

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