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 「京都は空襲を免れた」という説がある。だが、実際には、京都も散発的に空襲に見舞われていた。そのうちの一つが、織物の産地として栄えた西陣地区だ。地区のほぼ真ん中を南北に走る智恵光院通(京都市上京区、北区)を歩き、75年前の痕跡をたどった。

    ◇

 猛暑日の昼下がり。智恵光院通の真ん中あたりにある辰巳公園の屋根付きベンチでは、子どもらが腰を掛けておしゃべりをしたり、水を飲んだりしていた。散歩で立ち寄る高齢者の姿も目立つ。「毎日毎日暑い。ここの日陰で涼むことができ、気持ちいいですわ」。近くの男性(70)は、そう言って汗をぬぐった。

 子どもらの笑い声が絶えない公園の入り口付近に、石碑「空爆被災を記録する碑」はあった。

 「昭和二十年(一九四五年)六…

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