元衆院副議長で自民、民主両党で国会対策委員長を務めた渡部恒三(わたなべ・こうぞう)さんが23日、福島県会津若松市内の病院で死去した。88歳だった。関係者によると、葬儀は近親者で営む予定で、後日、お別れの会を開く方向で調整中だという。

 福島県議を経て、1969年の衆院選に旧福島2区から無所属で立候補し、初当選。直後に田中角栄元首相に口説かれ自民党入りした。83年、中曽根内閣の厚相として初入閣。竹下派では「七奉行」の一人として存在感を高め、自治相や通産相なども務めた。

 93年、小沢一郎氏と行動を共にし、宮沢喜一内閣の不信任に賛成、自民党を離れた。新進党では政務会長、副党首などを歴任。96年から03年まで約7年間務めた衆院副議長の在任期間は歴代最長となった。

 独特の東北なまりがトレードマーク。「平成の水戸黄門」とも呼ばれ、親しまれた。当選同期の小沢氏とは対立と和解を繰り返す一方、民主党では重鎮として、前原誠司、枝野幸男の各氏らの後見役となった。前原氏が代表だった06年、国会で追及した「メール問題」で窮地に陥ると、国会対策委員長に就任して支えた。衆院は14回連続当選。12年に引退した。