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 「大統領に選ばれたら、勤労家庭と中流階級に注力する。大金持ちにではなく、一生懸命働くことに報いる」

 7月9日、ジョー・バイデン前米副大統領(77)が米東部ペンシルベニア州スクラントン郊外の鉄工所で語った。11月の大統領選に向け、「より良く建て直す(Build Back Better)」という目玉経済政策の発表場所として選んだのは、生家から車で10分の場所。新型コロナウイルスの感染拡大と歴史的不況、構造的な人種差別などの困難に直面する米国を、故郷に重ねているようだった。

 周囲に炭鉱が広がるスクラントンはかつて、鉄工や縫製業で発展し、移民を集めて地域の中心都市となった。だが、炭鉱が廃れると空洞化した。バイデン氏の父もボイラー掃除の仕事のため、隣のデラウェア州まで通い、やがて転居した。バイデン氏と同じ小学校だったマイケル・ワショーさん(75)は「(生活が苦しくても)親は自分を犠牲にして子どもに楽器やダンスを習わせ、大リーグの試合に連れて行った」と振り返る。

 バイデン氏が10歳の頃、家族はデラウェア州に移ったが、週末はスクラントンへ戻り、教会のミサに出かけた。その後、決まっておじや祖父の友人が集まって政治の話をした。「政治の基礎は12歳の頃、祖父の家で学んだ」とバイデン氏は自伝につづっている。

 その後も街は衰退した。中心部からは百貨店や劇場が消え、19世紀末に建てられたビルには板が打ち付けられた。今の街の人口は全盛期の約半分。市商工会議所のボブ・ダーキン会頭は「米国の他の地域で起きたことと同じだ」と話す。

 政治も変化した。以前は組合の支持を受ける民主党が強かったが、2016年の大統領選では「ヘドロをかき出せ」と訴えた共和党のトランプ氏がこの一帯で人気を集め、ペンシルベニア州も制した。ワショーさんは「長年の民主党員たちが、違うことをしてくれそうなトランプに投票した」と分析する。

 演説でトランプ氏について「何も実現していない」と切り捨てたバイデン氏は、「一緒に建て直そう」と訴えた。「決意、復元力、根性。打ちのめされても立ち上がる強さ。ここで学んだ価値観だ」。スクラントンも物流拠点ができ、医療・教育産業に力を入れるなど、次第に再生しつつある。古いビルはアパートに改装され、若者も住む。

 バイデン氏の人生も、困難続きだった。子どもの頃から吃音(きつおん)に悩まされ、最初の妻と長女は交通事故で死別。5年前には長男も病死した。それを乗り越え、3度目の挑戦で大統領候補の座をつかんだ。選挙で勝利できるかは、前回の選挙でトランプ氏に変革を求めた有権者を、どれだけ説得できるかにかかっている。(スクラントン=香取啓介)

 8月12日、地元のデラウェア州でバイデン氏は、副大統領候補として選んだカマラ・ハリス上院議員(55)と並んで初めての演説をした。ハリス氏を紹介する直前、バイデン氏が触れたのは5年前に亡くなった、自分の長男のボー氏だった。

 「私が初めてカマラを知ったのは、ボーを通じてだった。同じ時に(州の)司法長官を務め、共通の大きな闘いに取り組んだ。ボーがいかにカマラと彼女の仕事ぶりを尊敬していたか知っていたことは、(副大統領候補を選ぶ)決断でも大きかった」

 バイデン氏は上院議員36年、副大統領8年と半世紀近く、公職にいた。政治経歴を大きく動かしたのは、家族との別れだ。

 弁護士を経て、バイデン氏は1972年11月、29歳の若さでデラウェア州から上院議員に初当選。翌月、クリスマスの買い物に出かけた、最初の妻ネイリアさんと3人の子どもが乗った車がトラックとの衝突事故に巻き込まれる。ネイリアさんと長女は死亡し、2人の息子も重傷を負った。

 バイデン氏は議員就任の辞退も検討したが、重鎮から「6カ月だけ、試して」と説得され、息子たちの病室で宣誓式を行った。上院歴史室で働いた歴史家ドナルド・リッチー氏は「気鋭の政治家ではなく、大切な人を失った人間として見られるようになった」と話す。その後も、息子たちの世話をするため、デラウェアの自宅からワシントンまで毎日、片道約2時間をかけて通勤。この時間を質問準備に費やし、議会でも一目置かれるようになった。

 事故から回復したボー氏も政治家を志し、2006年にデラウェア州の司法長官に当選した。10年にカリフォルニア州司法長官に選ばれたハリス氏らとともに、民主党の若手のホープとなった。

 しかし、ボー氏は脳腫瘍(しゅよう)を患い、15年に46歳の若さで死去。悲しみが癒えなかったバイデン氏は、翌年の大統領選への立候補を断念。政治家人生の終わりかと思われたが、トランプ大統領が誕生したことで、「国の魂をかけた闘い」として今回、立候補した。

 悲しみを理解しつつ、くじけない復元力を併せ持つのがバイデン氏の魅力だ。政治アナリストのビル・シュナイダー・ジョージメイソン大教授は新型コロナウイルスによって米国で16万人超が死亡している現状を踏まえ、「バイデン氏のほかに、悲しむ米国人をつなげられる政治家は見当たらない」と語る。