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 7年半におよぶ長期政権を築いた安倍晋三首相が突然、辞意を表明しました。2015年に朝日新聞朝刊に掲載した連載「70年目の首相」の一部から、安倍首相をかたちづくった思想やその背景、政権のこれまでの歩みを振り返ります。(敬称略、年齢・肩書は掲載当時)

【2015年10月7日朝刊4面】

 「話はわかりますが、母親として、『総裁選に出たらどうか』と言うのは難しいことです」

 2012年初夏、東京都品川区のホテル。安倍晋三の祖父・岸信介の地盤を継いだ元自治相の吹田愰(ふきだあきら)は、安倍の母・洋子に相談したいことがあった。食後、吹田はおもむろに切り出した。9月に迫る自民党総裁選に安倍が出馬するよう促してほしい、というお願いだった。だが、洋子はにべもなかった。

 「仕方がない」。吹田は思った。

 洋子の父・岸は、宿願の憲法改正を果たせぬまま、安保条約改定に伴う混乱の責任をとって退陣。そして、夫・晋太郎は首相の座を目前にしながら病で世を去った。次男の安倍は、持病の潰瘍性(かいようせい)大腸炎による健康問題で短命政権に終わった。洋子はその3人の姿を間近で見続けてきた。

 戦後、2度首相をやったのは吉田茂ただ1人。元首相が総裁選に再出馬すること自体、極めて異例だ。ましてやこの時、次の総裁選は石原伸晃、石破茂の「石・石対決」という流れが強まっていた。

 安倍の妻・昭恵は振り返る。「家族は(出馬に)賛成していなかった。『今回じゃなくてもいいんじゃない、まだ先があるから』と」

 それでも吹田の気持ちは変わらなかった。

 岸は憲法改正を果たそうと首相への返り咲きを狙い続けたが、皮肉にも実弟の佐藤栄作が長期政権を築き、機を逃した。安倍は憲法改正による「戦後レジームからの脱却」を訴えつつも、道半ばで頓挫した。岸と安倍の姿が重なって見えた。

 吹田は、安倍との直談判に乗り出す。

 同年7月25日午後1時半、山…

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