[PR]

群馬と満蒙開拓【後編】

 中国東北部に日本がつくった「満州国」に渡った開拓移民。日本の敗戦後に殺されたり、故郷へ帰れなくなったりした人もいた。満州で何があったのか。戦後をどう生きたのか。悲劇の体験者は少なくなった。家族の歩みをたどりながら、戦後75年を考える。

④父の詩、子らが出版 故・青木覈さん

 今年6月、一冊の詩集が出版された。「妻への手紙―あおきあきら全詩集―」(群馬詩人会議)。著者は群馬県渋川市中村の青木覈さん。2017年に81歳で亡くなった。生前、全詩集の出版を願っていた。

 印刷見習工の若き日の詩作、仕事や生活に根ざした作品、愛する人への思い。市井に生きた人柄が伝わる。そして満州(現中国東北部)で戦災孤児になった時のつらく悲しい詩は、歴史の証言になっている。

拡大する写真・図版青木覈さんの長男の暁さん、妻の和子さん、長女の赤石はるなさん(左から)。詩集と遺影を持って=群馬県渋川市中村、柳沼広幸撮影

 青木さんは1944(昭和19)年、両親と妹2人の家族5人で満州に渡った。北安省(現黒竜江省)克東県の前橋郷開拓団。翌45年8月、敗戦で日本人と満州人の立場は逆転した。度々、匪賊(ひぞく)(武装集団)に襲撃され、殺されたり自決したりと犠牲者が続出した。ハルビンを経由して撫順炭鉱に逃れたが、そこでも栄養失調と伝染病で次々と亡くなった。

 「オマエ ステテコイ/旦那が妹を抱き上げた。/ステテクレバ オカネヤル/かみさんがぼろ毛布にくるんだ。/トンネルノムコウ ヤマノナカニステロ/満人夫婦が麻縄でおれの背中に縛り付けた。/妹は人形のように軽かった」(「雪だるま」の一部)。

 半世紀後の97年、青木さんは中国に慰霊の旅をしました。妹を捨てた杉林にはビルが立ち並んでいました。

 戦後の記録などで、青木さんは…

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

この記事は有料会員記事有料会員記事です。

2種類有料会員記事会員記事の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら