スターリン、独ソ戦中にモンゴル巨大陣地 対日戦へ布石
モンゴル東部の平野は、同国の中でも最も平らな一帯とされる。360度水平な地平線に囲まれた草原を車で進んでいると、前方でハイフンのように黒い横棒状のものが地平線上に見えてきた。
2014年6月、ノモンハン事件日蒙共同調査団に同行取材していたときのことだ。数百メートル進むと、巨大なソ連の対戦車壕(ごう)跡が姿を現した。衛星画像で存在を予測していたため転落は免れたが、起伏を巧みに生かし、近づく車両から見えにくいように造ってあった。この一帯がマタット陣地だ。
先に見えたハイフンのようなものは、壕の内側に土を盛った見張り台。調査団が以前に調査したタムスク陣地の約180キロ西側の位置にある。差し渡し東西13キロ、南北10キロ。タムスクとほぼ同じ大きさで、東京・山手線の内側を上回る面積がある。
壕の幅は約10メートル、深さは2メートル以上。悪路用に改造した四輪駆動車でも越えられない。いたる所に有刺鉄線の塊が転がり、踏みつけてパンクしないよう、前方と左右を見張りながら徐行。陣地内にはタムスクと同様、砲台や建物、物資貯蔵用の壕とみられる跡が多数残り、陣地の中央部を鉄道跡の土手が東西に走っていた。
野営の準備をする調査団のもとに突然、馬に乗った男が現れた。一帯で遊牧生活を送るゴンボスレン・ボルト。マタット陣地は祖父の代に造られたという。「ここは物資や兵を集める場所。日本と戦うため、ここから出撃していったと聞いている」
スターリンは独ソ戦のさなかも対日進攻に備え、策略をめぐらせていました。ノモンハン事件の後もモンゴル東部で建設が続いた巨大陣地などに焦点を当てます。
調査団はさらに140キロ北…