ノモンハンの戦法、独ソ戦で酷似 転機つくった「英雄」

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編集委員・永井靖二
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 タムスク陣地跡のほぼ中央に、他よりも格段に立派な造りの建物がある。ノモンハン事件でソ連軍を指揮したゲオルギー・ジューコフ将軍が宿舎に使ったと、伝えられている。ジューコフにとって、ノモンハン事件は大きな転機だった。

 ジューコフはノモンハンの功績で1939年8月30日、ソ連邦英雄の称号を授けられ、停戦後も40年5月までモンゴルに滞在した。モンゴルを代表する戦史記録画家、バトムンフ・チョージルナムスレン(1931~2015)は、現地取材をもとに、この建物を「将軍ジューコフの宿舎」(1989年)の題名で描いた。

 ジューコフがノモンハンで採用した戦法は、ソ連で36年に発布された「赤軍野戦教令」にあるものだ。重砲や航空機、歩兵と連動した戦車部隊の活用を攻撃の主軸に置き、防御に三重四重の陣地を構える「縦深戦術」と呼ばれた手法は、「赤いナポレオン」と呼ばれた同国のトゥハチェフスキー元帥の発案による。同元帥は37年、スターリンによる粛清で銃殺され、その先進的な用兵思想は否定される。だが、ジューコフはノモンハンでそれを復活させたのだ。

 戦功を挙げたジューコフは欧州に呼び戻され、40年5月にキエフ特別軍管区司令官に就任。独ソ戦が始まると、41年9月11日にレニングラード方面軍司令官に。同10月11日には西部方面軍司令官として、モスクワやスターリングラード(現ボルゴグラード)で戦闘の指揮をスターリンから託される。

 モスクワ攻防戦でジューコフ…

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