近藤康太郎
あごから血を流し、地引(じびき)雄一が待ち合わせ場所に現れた。わたしは仰天したが、地引は「あぁ、痛(い)てて」。わりに平然としていた。
拡大する地引雄一。1980年代アンダーグラウンド界をドキュメントした自著「ストリート・キングダム」の映画化が進んでいる
1994年のことだ。2人でよく仕事をしていた。そのころわたしは日本のアンダーグラウンド音楽の魅力にとりつかれ、年間300本以上、ライブハウスに通い詰めていた。地引はアンダーグラウンド界で大先輩の写真家。この日は、東京のライブハウス「新宿ロフト」の立ち退き裁判を支援する野外ライブだった。カメラを構える地引に、興奮した客がいきなり殴りかかってきたという。
「昔は、こういうのよくあったからね」
60年代、世界を席巻したロックとカウンターカルチャーは、70年代初頭にジミ・ヘンドリックスやジム・モリスンらが相次ぎ死去。ロックも商業化したり、高踏的な芸術に変質したりしていった。
そのころ地引は東京から東北の山村に移って、地方の生活をテーマに作品を撮っていた。
70年代末、東京に戻る。
「雑誌の『平凡パンチ』に、ロンドンでパンクロックというものがはやっているらしい、という小さな記事が出た」
ロック初期の衝動を取り戻した…
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