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 「こんな姿で生きたくないよ」「自分では何ひとつ自分のこともできず、私はいったい何をもって自分という人間の個を守っているんだろう?」。医師らが逮捕された嘱託殺人事件で、殺害を頼んだとされるALS患者の女性はブログにこう書いていたといいます。体が不自由であっても、なくても、「生きる意味」を見失いそうになることは誰しもあり得ます。生きる意味とは、それを受け入れる社会とは。臨床哲学者で岩手保健医療大学長の清水哲郎さん(73)と、作家・歌手のドリアン助川さん(58)に聞きました。

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生きること自体が、誰一人切り捨てない社会にする

拡大する写真・図版清水哲郎さん=本人提供

《臨床哲学者 清水哲郎さん》

 「死にたい」。今回の事件のように、そう言う人がいたら、そのまま死なせますか。

 報道の限りでは、起訴された医師たちは、本人が生きる道を考えず、ただ死への道を肯定し推し進めたようです。

 「身の回りの世話をしてもらうようになったら、死を選ぶのはもっともだ」という価値観の人は、医療・ケアの従事者には不適格です。現在の日本社会が認める価値観から外れているからです。今回のように薬物で積極的に死なせる方が本人にとって良いというのは論外です。

 厚生労働省の研究班に参加した縁で、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の人たちと20年来の交流をしています。ある方は人工呼吸器を着けて30年ほど、口で話すことはできず、生活全般に介助が必要ですが、支えてくれる方たちと国内外の患者や医療・ケア従事者と交流し、厚労省にも直接、患者が直面する課題を伝え、行政を動かしたこともあります。

 体が動かないから何もできないわけではなく、役に立たないわけでもありません。難病の人も、年老いて弱くなった人も社会の一員として生き続けることで、社会の役に立っています。この社会を現に、誰一人として切り捨てない社会にするからです。「色々できなくなったら、死にたいのは無理ないよ」と妙に同情的な価値観が支配的になれば、今は元気な人も、老いて色々できなくなれば切り捨てられる不安を抱くでしょう。

 難病でも、年老いても一緒にこの社会の仲間として生きていこう。私が保ちたい、この価値観は、不十分ながらも制度として実体化されています。公的医療保険や介護保険、障害者向けの介護サービスだってそうです。生きていようと思えるためには、社会という環境が重要なのです。

 一方で、私はどんな状況下でも、生命を延ばせるだけ延ばすのが良いとは考えていません。

 例えば人生の最終段階では、無理に生命維持をしない方が本人の心身の負担を和らげ、本人らしい最期を迎えられる場合があります。医療現場では胃ろうや透析、点滴など生命維持につながる医療・ケア行為を差し控えたり、終了したりします。あくまでも医学的判断をベースに本人の人生理解や価値観に基づき、本人の最善を考え、本人を中心に関係者が合意した選択であるべきです。本人と関係者の間で合意に至らない場合では、本人の明確で、持続的な意思に反する生命維持の強行はできません。

 では、今回の事件の場合、そう…

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