拡大する写真・図版広重の描いた江戸 名所百景はいま②

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 「東海道五十三次」の作者として知られる浮世絵師・歌川広重。歴史の教科書に登場し、ゴッホやモネにも影響を与えたとされます。そんな広重には、もう一つの代表作があります。太平の江戸を描き、絶筆となった「名所江戸百景」。 明治維新、関東大震災、東京大空襲、そして、高度経済成長。東京と名を変えた江戸は、激変を重ね、往時の面影は……。実は、かすかに残っています。没後162年。「名所江戸百景」に描かれた江戸をたどります。連載2回目の今回は、両国と水道橋界隈へ。

花火を見上げる屋形船の男女

 ひゅるひゅるっと上がる一筋の光。隅田川に浮かぶ船、そして両国橋から、人々がそれを見つめている。

 「流星」という放物線を描いて落ちる花火。色は、だいだい色の1色。なんとも地味だが、これが江戸の夏の風物詩だった両国の花火だ。

拡大する写真・図版両国花火=国立国会図書館蔵

 江戸風俗評論家の故杉浦日向子さんの著作によると、花火が円形に開くのは1874(明治7)年以降で、色とりどりの花火になったのは87(明治20)年以降だという。

 1733(享保18)年5月、隅田川の川開きに花火が打ち上げられた。この前年は冷夏と害虫で、大凶作となった。「享保の大飢饉(ききん)」だ。

 8代将軍吉宗が死者の供養に、と上げた花火が評判となり、毎年川開きから8月末まで、ほぼ毎日上げるようになった。これが両国の花火の始まりだ――という話が広く知られているが、飢饉と花火は無関係とする研究もある。

 《一両が 花火まもなき 光かな》 其角

 仕込みに手間のかかる当時の花火は、1発の相場が1両という高価なシロモノ。杉浦さんによると、一晩で上がるのはせいぜい20発で、加えて、間隔がとても長かったという。

 この長い間が、よかったらしい。こんな端歌が伝わっている。

 《夏の涼みは 両国の 出船入船 屋形船 上がる流星 星くだり 玉屋が とりもつ 縁かいな》

 花火を見上げる屋形船の男女。…

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