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 720年の完成から、今年でちょうど1300年を迎える日本最初の歴史書「日本書紀」。その本に九州は、天皇家の祖先の出身地として、また、大和政権に対して度々反乱が起きた土地として登場します。しかしこれらの記述は、本当にあったことなのでしょうか。最新の古代史や考古学の研究成果から考えていきます。今回のテーマは6世紀、九州の首長が大王に反旗を翻した「磐井(いわい)の乱」です。

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 「日本書紀」によると、継体天皇(当時の呼称は大王)時代の527年6月、筑紫国(つくしのくに)(現・福岡県)の首長・磐井が、継体の命で朝鮮半島南部の任那(みまな)(加耶(かや))の救援に向かっていた近江毛野(おうみのけな)率いる大和政権軍の行く手を阻んだ。当時、倭(日本の旧称)との関係が深い任那は半島東部の新羅(しらぎ)に攻撃されており、新羅は磐井に賄賂を贈って味方につけていた。継体は物部麁鹿火(もののべのあらかい)が率いる軍を九州に派遣し、戦いは翌年11月に磐井が討たれるまで続いた。「磐井の乱」と呼ばれる事件だ。

 磐井の墓は福岡県八女市にある北部九州最大の前方後円墳、岩戸山古墳(墳丘長約135メートル)とみられる。小田富士雄・福岡大名誉教授(考古学)は、福岡県や熊本県の古墳の石室や石棺、墳丘に立てられた「石人石馬」の共通性から、「当時、九州北中部の首長らは『筑紫連合政権』を形成しており、磐井はその盟主だった」と推定する。

拡大する写真・図版大和政権と戦った筑紫の首長・磐井の墓とされる岩戸山古墳と石人石馬(レプリカ)=福岡県八女市

 磐井は半島へ向かおうとする毛…

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