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 7月の豪雨による水害で大きな被害を受けた熊本県南部の人吉球磨(ひとよしくま)地域。この地域に鎌倉時代から江戸時代末までの約700年、領主として君臨したのが相良(さがら)氏です。実は偶然にも水害の数日前、その相良氏の実態に迫る本が刊行されていました。被災した人吉球磨地域の文化財の重要性を訴え、救うための力になるのでは、と注目されています。

 この本は古文書を研究する文献史学だけでなく、仏教美術や考古学の研究者も加わって総合的に相良氏に迫った論集「中世相良氏の展開と地域社会」(戎光祥〈えびすこうしょう〉出版、税別9千円)。7月1日付で刊行された。

拡大する写真・図版7月1日付で刊行された「中世相良氏の展開と地域社会」(戎光祥出版)

 相良氏は、元は遠江(現・静岡県西部)の武家とされる。鎌倉時代初めに球磨郡の多良木(たらぎ)と人吉の地頭に任命され、上球磨(球磨郡東部)の多良木(上相良)家と、下球磨(同西部)の佐牟田(さむた)(下相良)家に分かれて球磨郡に定着した。室町時代に佐牟田家が多良木家を追放して全郡の掌握を図ったが、当主の急死で一族をまとめきれず、1448(文安5)年に傍流の永富(ながとみ)長続(ながつぐ)が多良木家を継承して相良長続を名乗り、球磨郡統一を果たした。相良氏は戦国時代に一時、芦北・八代両郡にも勢力を拡大して南の島津氏と抗争。豊臣政権や徳川幕府には球磨郡の領有を追認され、江戸時代には人吉藩の藩主家となった。

 相良氏の歴史としては、人吉藩…

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