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“神功皇后の遠征”に“磐井(いわい)の乱”。北部九州とゆかりの深い「日本書紀」のエピソードには、この歴史書を作らせた権力者を正当化するための脚色があるようです。同じころ、九州の南部はどのような歴史を刻んでいたのでしょうか。今回は「隼人(はやと)」と呼ばれた人たちの物語です。

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 1965年、奈良市・平城宮跡の発掘調査で、8世紀前半の井戸跡から、赤と白、黒で逆S字形の渦巻き模様を描いた、どこかおどろおどろしく見える板が見つかった。平安時代の儀式の規則などを記した「延喜式」には、宮中警護や呪術的な儀式のために南九州の薩摩や大隅(現・鹿児島県)から移住させられた「隼人」と呼ばれる人々が、朝廷の重要な儀式で、赤白黒の「鈎(かぎ)型」を描いた盾を使ったことが記されている。この記述と一致する平城宮跡出土の板は「隼人の盾」と呼ばれ、近畿や北部九州とは異質な隼人の文化を象徴する資料になった。

拡大する写真・図版奈良市の平城宮跡で出土した「隼人の盾」(レプリカ)=鹿児島県指宿市

 「日本書紀」によると、隼人と…

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