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 1930年代に執筆され、現代に至るまで映像化・漫画化が続く吉川英治の代表作『宮本武蔵』。日中戦争の時局と共振し、「戦意高揚の作品」と批判されたこともあったこの作品はなぜ、日本人に愛され続けるのか。武蔵に代表される「サムライ」が今も日本人男性の理想像となっている理由とは。

拡大する写真・図版1938年9月、日中戦争の漢口攻略戦に従軍するため東京・羽田を出発直前の作家たち。右端が吉川英治、左から2番目が菊池寛

 「東亜聖戦(とうあせいせん)の旗下(きか)、今も猶(なお)、武蔵以上の武蔵が皇軍将士の中に幾多となく実在する」。1937年12月、半年以上休載していた朝日新聞の連載小説『宮本武蔵』の再開が紙面で告知されるにあたり、吉川英治が寄せた「作者の言葉」の一節だ。

 同年7月には日中戦争が始まり、吉川は東京日日新聞の特派員として中国北部に赴いた。冒頭に挙げた言葉は、その時の経験に基づくものだ。

 吉川は当時45歳。家の没落で高等小学校を中退。工員や行商など職を転々とし、31歳で専業作家になった。市井の人々に寄り添う作品を書く作家としてベストセラーを連発。中でも剣豪の生涯を描いた『武蔵』は、新聞連載小説として空前の人気となり、軍人の間でもよく読まれた。

時局と共振、イデオロギー装置の役割果たす

 戦時期の文学を研究する神奈川大の松本和也教授は、「ヒロインのお通を残して強敵との戦いに臨む武蔵の姿は、恋人や妻から離れて従軍する兵士にとって、感情移入しやすいし、勝ち続ける『かっこうよさ』もある。自分と武蔵を重ね、ままならない軍隊生活を美化していたのでは」と推測する。

 戦争が拡大し、吉川の描く武蔵…

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