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 百年前のステンドグラスの傑作が残る青森県中泊町の宮越家で、膨大な資料の整理、解読作業が進んでいる。リスト化を終えた文献は約6500点。竹久夢二からのはがきが見つかったほか、庭園は日本画家の橋本関雪が京都に造った白沙村荘を参考にしたこともわかった。津軽半島のど真ん中に華開いた大正浪漫「宮越ワールド」の全容が、次第に明らかになってきた。

 町と宮越家は、入念な保存・管理計画のもと、来春からの公開の準備を進めている。11月には1カ月間、試験的な公開をする予定だ。

 「宮越ワールド」の中心は、3点のステンドグラスだ。中泊町尾別、米穀集荷業宮越寛さん(61)の曽祖父で宮越家第9代当主の正治さん(1885~1938)が1920(大正9)年、敷地内に床面積約229平方メートルの離れ「詩夢庵(しむあん)」を建てた際、当時気鋭のステンドグラス作家だった小川三知(さんち)に制作を依頼した。

 涼み座敷の4枚のガラス障子には、コブシとアジサイを配し、庭の借景との調和を醸し出した。廊下の円窓には、帆掛け船が浮かんで十三湖を思わせる風景、風呂場には、カワヤナギで羽を休めるカワセミが描かれている。2004年、小川三知の日記から宮越家の作品にたどり着いたステンドグラス史研究家の田辺千代さんは「小川三知の最高傑作が百年もの間、オリジナルのまま無傷で残っていた。国宝級です」と高く評価している。

 町は昨年、「宮越家住宅・資料保存活用検討委員会」を作り、離れをはじめ、北側に隣接する文庫蔵、建物を取り巻く庭園などについて調査と資料整理を重ねている。文庫蔵には段ボール箱7個の書簡や、茶道具の陶磁器などが収められていた。

 竹久夢二からのはがきは、「注文の絵ができましたのでお送りしました。ご確認ください。代金は為替で送ってください」という内容で、大正8年7月23日付。夢二からのはがきはこの一通だけで、依頼したと思われる絵は見つかっていない。

 書簡は、当時の日本画壇を牽引(けんいん)した横山大観、下村観山、木村武山、橋本関雪、上村松園、鏑木清方ら画家約30人のほか、尾崎紅葉、幸田露伴、与謝野鉄幹ら作家からのものであふれていた。当時、宮越家は東京・中野に別邸を持っていて、漢詩をこなす正治さんは文化人との交流を深めていた。とりわけ年齢が近かった橋本関雪(1883~1945)との親交は厚く、届いた手紙類は70通に及ぶ。

 橋本関雪は1916(大正5)年ごろから、京都・銀閣寺の近くに白沙村荘の造成を手がけており、正治さんはこれを参考に、離れにつながる「枯山水庭園」と、その西に「池泉庭園」を、自ら設計して造ったとみられる。京都の庭園文化を、遠く津軽地方に伝播(でんぱ)させた格好だ。1926(大正15)年、逓信大臣だった安達謙蔵が宮越邸を訪問。この庭園の美しさに感激して「静川園(せいせんえん)」と名付けた。

 敷地内にはこのほか、母屋からつながる庭園がある。こちらは明治期のもので、正治さんの先代の時代に造られた。津軽地方に伝わる「大石武学流」の初期の作とみられ、青森県内の庭園の移り変わり、広がりを示す手がかりになる。

 離れや文庫蔵には、このほか江戸時代前期のものと思われるふすま絵や、欄間の彫刻、旧華族が放出したとみられる茶器類なども多数あり、寛さんは「正治の頭の中にあったもの、イメージを具現化した世界になっているようだ。子供たちが、この町には良いものがある、と自信を持ってもらえるよう、公開することにした」と話す。

 浜館豊光町長は「蔵の中にいっぱいある文化財の全貌(ぜんぼう)を明らかにする。当時の経済、財界の動きも見えてくるはず。太宰治の斜陽館のように、津軽地方で点でしか見えなかったものに線のつながり、面の広がりが浮き上がってくる」と期待を膨らませる。(元朝日新聞記者 帆江勇)

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