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 民間の奉仕団体、徳島ロータリークラブ(事務局・徳島市)が戦前に寄付金を出し、瀬戸内海の長島(ながしま、岡山県瀬戸内市)のハンセン病療養所内に建てられた小さな木造住宅が、80年以上の時を超えてよみがえる。当時の患者の暮らしや行政の強制隔離政策の歴史を伝える貴重な建物を守ろうと、岡山のボランティア団体が10月中の完成を目指して修復保存作業を進めている。

 長島にあり、いまもハンセン病の回復者が暮らす「国立療養所長島愛生園(あいせいえん)」の敷地内にその古い木造の建物はある。

 10畳の和室を中心に浴室や出窓がある平屋建ての建物は「十坪住宅(とつぼじゅうたく)」と呼ばれ、入所者の住居として使われた。資金を出した団体名をとり、建物は「徳島路太利(ロータリー)」と名付けられた。1937(昭和12)年ごろとされる建築時の姿を残す。

 修復保存に取り組むボランティア団体「ゆいの会」(事務局・岡山市)によると、36年に愛生園で医師をしていた小川正子氏が四国を訪れ、入所者の住宅建設のための寄付を募った。当時、愛生園では定員を大幅に上回る入所者が収容され、待遇改善を求める大規模なデモやストライキが起きていた。

 徳島県では、30年代半ばに愛媛県の今治に次いで四国で2番目にできたという徳島ロータリークラブや、高等女学校の有志らが寄付に応じ、愛生園の記録では徳島県内で総額約1160円にのぼった。500円を寄付した徳島ロータリークラブについては「婦人会同志」の寄付者名簿が内部資料として残っている。

 愛生園では32年ごろから入所者らの手で十坪住宅の建設が進められ、最も多い時期には約150棟があったという。間取りは6畳2間が基本で複数の夫婦が住む目的で建てられた。一方、徳島路太利は主に男性の単身者3~6人が起居していたと伝えられている。

 戦後、ハンセン病の特効薬の開発もあり、入所者は減った。十坪住宅はその役目を終え、老朽化でほとんどが取り壊された。小川氏の徳島来県に由来する建物には「徳島大宜都寮」「名西寮」もあったが、残ってはいない。

 岡山の人々らでつくる「ゆいの会」は、地元の建築士会とともに5年ほど前から愛生園内に残る十坪住宅を調べ始めた。現存する5棟の中で徳島路太利が保存状態が比較的良く、建設当時の姿を残していた。

 修復保存に取り組むため、街頭やインターネットを通じて640万円の募金と1万人超の署名を集め、今春から工事に着手した。10月末までの完了を目標に作業を進め、来春からの一般公開を目指している。

 徳島路太利の記録は、96年に刊行された「徳島ロータリークラブ60年史」(非売品)の中にもある。

 「(昭和11年)12月には社会奉仕の第一歩として、林為亮が提案した長島の愛生園へ患者の住宅2棟を寄贈するなど活発な活動をした」との記述だ。林氏は弁護士や徳島信用金庫理事長を務め、戦後に同クラブ会長にもなっている。

 「60年史」の編集に加わった同クラブ元地区代表の山田戒乗さん(78)は「80年以上前に寄付したお金によってできた建築物が、今も残っているという話は聞いたことがない。保存して大切にしてもらっていることは大変にありがたいことだと思う」と話す。

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 長島愛生園の入所者自治会長を務める中尾伸治さん(86)も、かつて園内の別の十坪住宅に住んでいたことがある。「徳島路太利の前には、徳島大宜都という十坪住宅があった。入所者にとっては生活の場所であり、強制収容された人たちが終生を過ごした建物だった」と振り返る。

 長島には、愛生園のすぐ近くに同じ国立療養所の邑久光明園(おくこうみょうえん)がある。瀬戸内海の大島(おおしま、高松市)にある大島青松園(せいしょうえん)とあわせて「瀬戸内3園」とも呼ばれる。3園では、貴重な建築物や記録史料を保存して後世に伝えようと「世界文化遺産」や「世界の記憶」(世界記憶遺産)への登録を目指す運動が進んでいる。

 中尾さんは徳島ロータリークラブの関係者に向けて「十坪住宅の修復保存が終わる秋以降、ふるさとにある我が家の生活の跡を見る気分で、ぜひ一度、長島に来て欲しい」と話した。

 自治会によると、愛生園には8月11日現在、男性74人、女性60人の計134人が暮らしており、入所者の平均年齢は86・82歳。新型コロナウイルスの影響で、入所者が暮らす場所への立ち入りはできないが、史料を展示した歴史館やカフェなどは見学・利用できる。

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 愛生園は開園翌年の1931年から十坪住宅の建築資金を集める運動を始めた。同じ年、「癩(らい)予防法」が制定された。行政が中心になり患者を離島などの療養所に入れて隔離する「無癩県運動」が始まった時代でもあり、双方は国民運動として各地に広がった。

 戦前、小川正子氏が高知県などを訪れて患者を収容する様子をつづった手記「小島の春」は当時、ベストセラーになり、映画化もされて人気を博した。

 だが現在は評価が割れている。十坪住宅に入居するためには夫婦でなければならず、夫婦になると子どもを持つことができず断種や堕胎手術を強制された。十坪住宅は、患者の強制隔離を推し進め、差別と偏見を広めた日本のハンセン病政策の負の遺産でもある。

 弁護士でボランティア団体「ゆいの会」の近藤剛会長=徳島県石井町出身=は「十坪住宅の経緯を知ると新しい視点が出てくる。徳島路太利の公開では、寄付した側、受けた側、住んだ人の気持ちも伝え、展示を充実させたい」と語る。(雨宮徹)