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 遠足やデートで、もしくは子どもを連れて――。誰もが1度は、動物園を訪れたことがあるかと思います。でも、動物園がなぜそこにあるのか、考えてみたことはありますか? 日本に初めて動物園ができてまもなく140年。いま動物園は、大きな転換期を迎えています。動物園はどのような存在なのか、みなさんと一緒に考えます。

 デジタルアンケートに寄せられた声の一部を紹介します。

●外出自粛で感じた苦痛

 私にとって動物園は可哀想な場所です。本来は自然界の中にいるはずなのに、人間が動物を間近にみたいからと、人間の都合で自然界から動物を連れてきて(または動物園内で繁殖させて)、一生を狭いオリの中で暮らさせる。新型コロナウイルスでの外出自粛で私たちは家の中に閉じ込められていることに苦痛を感じたはずです。しかし動物たちは一生誰かに監視されながら、限られた場所で生きていく。教育として子どもたちに見せるべき姿は、自然界で強く、たくましく生き抜いている動物の姿ではないでしょうか。人間の都合で動物を動物園の中に閉じ込めておくことは、やめるべきだと思います。(東京都・20代女性)

●息子が助けてもらった

 学校でのトラブルで息子が心を病んでしまったとき、助けてもらったのが動物園でした。私と家の猫2匹では足りなかった分を動物園の動物たち、スタッフの人たちが補ってくれました。いきものの、生き方の多様性について、違いがあっていい、あるからこそいい、ということをちいさな子どもでも一目で学べる動物園。スタッフの人たちの「動物が大好き!」な気持ちが充満しているのが感じられて、幸せな気持ちになれる、私たちにとって大切な大切な場所です。私が子どものころ動物園で感じていた「可哀想な見せ物小屋」の時代は終焉(しゅうえん)に向かっていることを知ってうれしくなりました。動物たちのQOL(生活の質)に配慮した動物園が、末永く存続することを望みます。(神奈川県・50代女性)

●ふれあい体験は虐待

最近行ったのは母のパンダを見たいというたっての願いをかなえるためでした。パンダは優遇されのびのびしており愛らしく癒やされましたが他の動物たちの姿には悲しみを覚えました。何の楽しみもないコンクリートの牢獄などに一生幽閉され見せ物にされている動物を見に積極的に行きたいとは思えません。長時間同じ動作を繰り返すのは本来の姿とは言えず教育目的には適合しません。研究や種の保存のためなら見せ物にする必要もありません。大型動物を本来の生息地とは環境が大きく異なる日本に置くこと、ストレスにさらされることが間違いない。小動物との触れ合い体験などは虐待と思います。人間の娯楽のために動物を犠牲にする時代は終わって欲しいと思います。(埼玉県・50代女性)

●シロクマに目覚めた母に学んだ

 自分が行くことこそ最近ではめったになくなってしまったのですが、母が子育てに一段落ついて以降シロクマの可愛さに目覚めたようで、ここ10年ほど全国各地の動物園を巡り歩く旅を続けています。それまでは家族連れ、あるいはカップルの行く場所という印象が強かったのですが、1人で意気揚々と出かけていき、出かけた先でシロクマ友達と交流して帰ってくる母の姿を見て考えを改めました。

 調査研究や種の保存といった学術的側面が最も重要と考えており、集客のために娯楽施設化しすぎるのはあまり望ましくないとは思います。しかしながら、さまざまな年代、目的を受け止める懐の広さのようなものもまた、失われてほしくないとも思います。(埼玉県・20代女性)

●動物園は必要だが在り方に疑問

 幼い頃から動物が好きだった私には、夢のような場所でした。両親にたくさんの動物園に連れて行ってもらったことを覚えています。モルモットやウサギと触れ合ったり、豚におやつをあげたり、馬に乗ったり…。動物が好きなまま成長をした私は農業高校に進学しました。そこで初めて常同行動や動物の福祉について学びました。それからは動物園に対しての見方が複雑になりました。動物園の存在自体は必要不可欠だと思いますが、その在り方に疑問が生じてしまいます。動物が好きな人が純粋に好きでいられる動物園になってほしいです。(愛知県・20代女性)

●これからも子どもに「命」教えて

 去年に娘と動物園に行った時、「すごい!」と、とても感動していたことを覚えています。なんでそんなに喜んでるのか聞くと「図鑑の動物が生きてるから」と言っていました。

 昔、動物園はVRでいいという記事がありました。ですが、映像でこんなに子どもが喜ぶのでしょうか? 五感を通じて生き物を知る、それが子どもにとって必要なことです。我々は動物を大事にしたがりますが、現実は環境問題に目を背け、昆虫の命を潰し、“見た目のよい動物だけ”を愛しがちです。そんな人は動物好きとは言わず、「自分に酔ってる人」と言います。動物園は教育施設です。子どもに命を教えることは娯楽ではありません。これからも“動物”に優しく、命を教えてください。(静岡県・20代女性)

●わくわくから切ないに

子どもの頃はソフトクリームを食べてぬいぐるみを買ってもらえるからワクワクできた場所。大人になって行ったら同じ場所をグルグルとまわるクマを見て少し切なくなった場所。種の研究保護のために有益な施設なことは理解できます。リスクヘッジのため1カ所集中よりも複数箇所必要なことも理解できます。ただ残酷さも感じる。動物にストレスの少ない環境を用意できる財政状況にするべく、数の精査、増収の工夫が必要。動物に頼らない総合娯楽場的な改善をもって収益を上げられないだろうかと思う。(愛知県・40代女性)

●猿山で人生を考えた

 大学生の頃、人生への不安を抱えた時、キャンパスから歩いて通える距離にあった上野動物園に行って猿山を眺めていました。15分もみていると彼らの相関図がよくわかって、社会で自分はどういう立ち位置に生きていきたいか考えるきっかけをもらいました。子どもの頃は大好きだった動物園のことを忘れてしまっている人は多いと思いますが、大人になって行く動物園は多くの人にとって驚くほど発見と楽しさに満ちている場所だと思います。いい大人がひとりでふらりと立ち寄ってお酒を飲めるような動物園があればいいなと思います。(東京都・30代女性)

●動物に対する意識偏る

 獣医師です。個人的な意見になりますが、動物園は必要ないと思います。動物を狭い場所で飼育し、多くの場合鎖などで繫(つな)ぐことで、「動物について学ぶ」ことにつながるとは言い難いと思います。全く自然でない状態で飼育しているため、繁殖なども困難であります。芸をさせたり、見せ物にしたりすることによって、動物に対する意識も偏ってしまいます。本当に動物が好き、環境が好きなのであれば、動物園の存在は懸念すべきだと感じます。特に環境問題など社会問題が山積みの中、必要ない施設に多くのエネルギーや資金を投じるのは違うと思います。(東京都・20代女性)

●地球環境を考えるキッカケに

 優しさを育める施設だと考えています。色々と思うところがあり、菜食中心の生活に切り替えました。動物のことを思うなら娯楽としての動物園に反対すべきなのだとおもいます。しかし動物園という施設がなければ動物たちを知らないまま過ごしていたのだとおもいます。どんな動物が存在して、生活に関わっていて、それを知ることで今後の地球の環境を考えるキッカケになると信じています。(千葉県・20代女性)

●ウロウロする姿見たくない

 小さなオリに入っている動物は見たくないです。動物は好きなので、見に行きたいと思うのですがオリに入っているサル、ネコ、同じところをウロウロするオオカミにクマはあまり見たくないので足が遠のいています。市内の動物園なので敷地が狭いのでしょうが…動物園は減ってもいいのですし、値段が上がってもいいので広大な土地にのびのびと暮らす動物が見たいです。(大阪府・30代女性)

●亡き長男との思い出

 2歳8カ月で亡くなった長男を、亡くなる17日前に動物園に連れて行った。今でもその記憶が鮮明であり、年に1度は動物園を訪れて長男と歩いたコースを、そのときのことを思い出しながら歩くことにしている。檻(おり)のなかの動物には興味を示さず、山羊(やぎ)や兎(うさぎ)に触ることができる子ども動物園で大喜びをしていたことが、今でも目に浮かんでくる。動物園は絶滅危惧種がどうとか、動物の自然の生態を見せるべきだとかいった難しいことは言わず、子どもが動物と触れ合えることが大事であり、珍獣の展示を競う必要はないと思う。(愛知県・60代男性)

●泳ぐペンギンの姿に感動

自分にとっての動物園は人間も生物の一つだと改めて認識させてくれるところです。最近訪れた動物園では、ペンギンたちのしなやかに泳ぐ姿に感動し、虎の咆哮(ほうこう)に恐怖し、ヒクイドリの脚にロマンを感じ、チンパンジーやオランウータンに少しだけ親近感を覚えました。オリの中の動物たちが本来はどんな場所でどんな生活をしているのか。どんなことが得意でどんなことが苦手なのか。動物園はそれらを教えてくれる場所であって欲しいと思います。(岡山県・20代女性)

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絶滅危機救う、新しい価値 タレント・高木美保さん

 2015年に大森山動物園(秋田市)の名誉園長に就任しました。私がテレビで自然保護について発言しているのを知った作家の石川好さんが推薦してくれたことがきっかけです。派手さはないけど、自然の中で動物を感じられる園です。

 東京出身の私は、上野動物園にパンダの「カンカン」「ランラン」が来たときに並んだ世代。人が多くて父親に持ち上げてもらったけど、よく見えなかったのを覚えています。

 でも、思春期になるとオリの中にいる動物が「かわいそうだ」と思うようになりました。その時期は動物園から足が遠のき、ほかに夢中になることもあって、存在自体が頭の中から抜けていきました。

 思い出したのは、大人になってから。猫が大好きなんですが、動物愛護の活動をしている友人の話も聞き、「もっと動物たちをちゃんと見よう」という気持ちになった。動物が異常行動をせずに暮らせるよう動物福祉や環境エンリッチメントに取り組む動物園の存在も知り、考えが変わった時期があったんです。そんな時に名誉園長の話を頂きました。

 大森山動物園は、ニホンイヌワシの繁殖に力を入れています。飼育員さんたちが生態を研究し、ずっとカメラで観察をしている。私たち観客が見ているのはその成果だけですが、裏にはそうした努力がある。ほかにもトナカイに体温計をつけるなど、快適に過ごせるように一生懸命考えている。ものすごく努力して、予算と格闘しながら運営しているリアルな現場がありました。

 これまでの動物園は珍しい動物がたくさんいることに価値を置いてきた。でも動物を輸入することが難しくなったいま、展示する種類を減らしてでも野生の環境に近い施設にするなど、臨場感を与える展示の工夫が大切になると思います。それが動物福祉にもつながります。

 いつも来園者にお話しするのは「ここの動物たちを見て、彼らが暮らしていたはずの自然に想像を膨らませてほしい」ということです。自然が壊され、絶滅の危機にある動物たちを残せるのなら、それは動物園の新しい価値です。彼らがここに存在するまでのプロセスを考えながら見てもらいたいと思っています。(聞き手・北上田剛)

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「わがまちに動物園を」 新潟県、20万人超が署名

 「新潟県内にはちゃんとした動物園が一つもない。中学生くらいになっても実際のゾウやライオン、キリンを見たことがない子もいる」

 新潟市西区の元新潟県職員、高杉健さん(76)はそう嘆いています。県内にはかつて、新発田市に私立動物園がありましたが、30年ほど前に経営難で閉園。それ以降、小動物がいる施設はありますが、ゾウなど主な大型動物がそろう本格的な動物園は県内に一つもなくなりました。

 子どもたちに動物の生態や自然環境保護の重要性を学ぶ場を作ってあげたい――。そんな思いから2012年12月、教育関係者や県職員時代の知人らに呼びかけて「にいがたに動物園をつくる会」(会長=小林一三・元新津市長)を立ち上げました。それからおよそ8年、事務局長として200日以上街頭に立ち、署名を集め続けました。署名は今年10月時点で20万筆を超えています。

 しかし、世界的な動物福祉の水準を満たす施設を作ろうとすれば、見込まれる事業費は約50億円。年間の運営費も、有料入園者数を、札幌市円山動物園(18年度、約58万人)や多摩動物公園(同、約45万人)並みの50万人と見積もっても、1千万円程度の赤字が見込まれます。今のところ、財政難の新潟県や新潟市が検討する様子は見られません。

 それでも、高杉さんは前向きです。コロナ禍で自粛していた署名活動を11月にも再開する予定で、「現実を直視する必要があるのは確かだ。でも20万人以上が署名してくれた事実は重い。子どもたちのために頑張り抜く」。

 全国を見渡すと、住民らの運動が公立動物園の「誕生」につながった例があります。西日本鉄道が経営難で閉園を発表後、数カ月で市民ら約26万人が署名、北九州市が引き継いで02年に再開園した「到津(いとうづ)の森公園」です。西鉄時代から園長を務める岩野俊郎さんは「併設の遊園地を残してほしいという声はなかった。子どもたちへの教育機能を備えた動物園という存在は、市民にとって特別なものだった」と振り返ります。

 総額101億円を投じて公立園としてのリニューアルを進めた際には、遊具などは撤去して娯楽性を捨て、教育施設としての役割を重視しました。獣舎は、動物福祉という言葉は当時まだ浸透していませんでしたが、なるべくその動物が本来暮らす環境に近づくよう整備していったそうです。

 コスト削減と動物福祉向上のため、もともと約200種1千点いた動物たちは、約100種500点まで減少しました。日本動物園水族館協会(JAZA)などが掲げる「四つの役割」のうち「種の保存」や「調査・研究」に全面的に取り組むのは難しい状況です。でも、岩野さんは言います。「遊園地もなく、珍しい動物を増やしたわけでもないのに、毎年37万人前後が来てくれる。失われつつある自然環境を市民が見直す施設として、支持されているのではないでしょうか」(太田匡彦)

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寄付募って、脱「税金頼み」 帝京科学大学講師・佐渡友陽一さん(動物園学)

 日本の動物園の多くは、明治時代以降に行政が整備する公園の一環として作られました。当初は、公園行政全体の財源として機能することが求められ、戦後すぐのころまで、動物園は独立採算が基本でした。

 ところが、高度経済成長期に入ると、物価の上昇に入場料の値上げが追いつかず、支出超過に。1960年代には「福祉国家の建設」が叫ばれ、「採算が取れなくても良い」という風潮になります。横浜市が野毛山動物園を無料開放し、東京都も上野動物園の入場料を据え置いて高齢者と子どもを無料にするなど、「子どものため」の「安い動物園」という現在のスタイルが確立しました。

 日本の動物園は、親、特に母親が子どもを連れて行き、動物の実在を確認させる場所、という役割を果たしてきました。いわば「子育て支援施設」の位置づけで、現在に至っています。同時に「思い出を世代間継承する場」という役割も担ってきました。

 そこには「動物のため」の視点はありません。一方で、動物園関係者は、動物福祉の向上や生物多様性の保全を目指してきました。ここに、大きなギャップがあります。

 世界では、1900年前後からすでに、動物園が希少動物の保全活動に取り組んでいました。日本の動物園が「種の保存」を声高に言えるようになったのは、ワシントン条約の締約国になった1980年代以降です。それでも、「海外の動物の保全」や「動物の幸せの追求」に税金を投入して良いか、との問題が常につきまといます。

 保全や動物福祉の面で、日本が海外に後れをとる最大の要因は、経営形態にあると考えています。日本の公立動物園は入場料収入などが3~4割、残りの6~7割は税金による補充で、寄付はほぼゼロ。一方、米国の動物園は入場料などの収入、税金、寄付がそれぞれ3分の1くらいです。動物学協会という非営利組織が運営していることが多いのも日本との違いです。寄付を集めるためにプライドをかけるので、行動の様式が変わってくるのです。

 日本の動物園も、入場料の値上げや寄付を募るなど、税金に頼らない自主財源の開発が必要です。思い出を継承する動物園には「次世代のために何かしたい」という思いを受け止める力があるので、動物園に寄付をしたいと思う個人は少なくありません。よりよい動物園を目指すために、積極的に経営資源を集めるべきだと思います。また、集めたお金をまとめて使うためには、年度を超えて積み立てられる基金などの仕組みも必要です。(聞き手・鈴木彩子)

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 動物園は必要か否か。市民に身近な存在だったはずの動物園ですが、アンケートに寄せられた声に、改めてあり方を考え直す時期に来ていることを実感しました。

 この数カ月、各地の公立動物園を取材しました。いまも狭いオリに入れられ、満足に歩けないような飼育環境はたくさん残ります。一方、「限られたスペース、予算の中でできるだけのことをしたい」という飼育員らの思いも多く聞きました。

 もちろん、思いだけでは不十分ですが、現場だけでできることには限界があります。動物福祉を満たす環境がないのなら、まず動物園側が議会や首長らにそうした現状をしっかりと伝えるべきだと思います。

 アンケートには「市民が『飼っている』という意識を持てると良い」といった声がありました。それが動物園のあり方を考える出発点になる、と感じています。(北上田剛)

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アンケート「脱ハンコ、どう思う?」をhttps://www.asahi.com/opinion/forum/で実施中。ご意見ご提案はasahi_forum@asahi.comメールするへお寄せください。