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 昨秋の台風19号で甚大な被害を受けた東京都奥多摩町特産のワサビ。その生産現場では、再起へ向けた取り組みが続いている。「奥多摩わさび」の魅力にひかれて町外から移住し、育てていた約4千本が全滅する被害に遭った春田喜久郎さん(42)に、復興を目指す現場を案内してもらった。

 春田さんのワサビ田は、JR古里駅(奥多摩町小丹波)から約5キロの山中にある。そこに向かう林道が台風で崩落し、本格的な復旧工事はこれから。落ちた路面やひしゃげたガードレールがまだ残されていた。人ひとり通るのがやっとの崩落箇所を抜け、さらに山を登ってやっと行き着いた。

 この山中に4カ所あったワサビ田のうち、最も深刻な被害を受けたのは水源に近い最上段。台風に伴う豪雨で田が石垣ごと押し流されて沢と化した。他の3カ所は石垣やネットを整備し直せば再生できそうだが、林道が開通しないと工事に着手できない。「台風後、初めて来た時はあぜんとし、ショックで1週間以上立ち直れなかった」と春田さん。

 ワサビ農家にとって、本来ならいまは収穫や出荷で多忙を極める時期だ。「今年は出荷できるものがない。寂しいし、つまらないですね」。春田さんはぽつりと言った。ワサビは通常、春に苗を植え、収穫は1年半後。無事なら昨秋と今秋、約2千本ずつを収穫できるはずだった。

 春田さんは数年前、知り合いのワサビ農家の収穫を手伝ったのを機に生産者を志し、2016年2月に東京都福生市から移住した。同年春以降、町が後継者育成を目的に続けている「奥多摩わさび塾」で学びながら栽培に携わってきた。「奥多摩わさび」は江戸時代、将軍家に献上されたことなどで知られるが、「高齢化が進んで耕作放棄地も増えていると聞き、もったいないなと思った。ワサビ作り自体が独自性が強くて面白く、本格的に始めたくなりました」。

 栽培1年目の冬、約1200本のうちの約800本をシカに食べられた時も落ち込んだが、「昨秋の台風はレベルが違う。田が跡形もなくなるなんて想像もつかなかった」と振り返る。

 台風被害を受けて、新たな土地を探すことにした。林道の崩落箇所から100メートル余り先に田を持ち、そこでの栽培を断念した生産者から土地を借りて栽培を再開。今春植え付けた千本余りの苗は順調に育っている。

 台風19号による「奥多摩わさび」の被災は町内計145カ所に及び、被害総額は約23億6千万円。「激甚災害」の指定を受け、生産者が復旧を希望した場合、国や町の補助が適用される。町は、希望しても復旧が困難なケースでは、代替地の整備の支援などを個別に検討するという。

 かつて約200人いた奥多摩山葵(わさび)栽培組合の組合員数は今56人。組合長の保科正広さん(68)は「私を含めて代々続くワサビ農家にとってもこれほど大きな被災は初めてですが、田の復旧をあきらめた人はいても、ワサビを育てることをあきらめた人はいない。みんなそれだけ愛着が強い」と話す。

 平均年齢60歳を超す組合員の中では若手の春田さんには、先輩組合員たちの姿も励みになった。「3万本育てて大半がだめになったという人もいるのに、たかだか4千本やられて心を折ってる場合じゃないなと」。春田さんは有志とともに、種から育てて独自の苗をつくるなどの新たな挑戦も始めている。「被災した田が復旧するまで栽培規模は限られますが、これからも『奥多摩わさび』を作り続けてその魅力を広く伝え、仲間を増やしていきたい」(杉山圭子)