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 震災の時、福島県双葉町出身の猪狩梨江さん(37)はスパリゾートハワイアンズ(いわき市)のフラガールだった。その直後から被災者の慰問や復興支援への感謝を込めた「きずなキャラバン」に加わり、全国を巡った。自身も被災する中、何が心の支えになり、いまの故郷はどう映るのか。

 ――2011年3月の原発事故を受け、5月からキャラバンが始まりました。

 「ダンサー自身もそれぞれに状況を抱えながらでしたが、『全国に笑顔と勇気と元気を福島から発信しよう』と、キャラバンを始めました。でも『やるぞ!』と思う半面、多くの人が避難しているなかで『自分たちは本当に踊っていていいの?』という不安な気持ちが最初は強くありました」

 「当時、私自身は双葉町内の実家からいわき市の職場まで毎日通っていて、震災の日は、お昼の公演後の休憩中に地震に遭いました。家族とはその日の夕方に電話がつながりましたが、その後の原発事故で町には戻れなくなり、私も家族とともに郡山市で一時避難生活を送りました」

 ――5月の県外公演で、多くの双葉町民が避難していた埼玉県加須市の旧騎西高校を訪ねていました。

 「私を含む7人のダンサーが慰問に行きました。私にとっては一番身近な人たちを前にする公演です。とにかく踊る前は『このまま踊るべきなのか』と気持ちが揺らぎました」

 「会場の視聴覚室の舞台に立つと、最前列に近所に住むよく知るおじさんやおばさんの顔が見えたんです。でも、目を合わせられませんでした。全部で5曲、15分ぐらいの公演だったと思いますが、すごく長く感じました」

 ――終わってからはどんな気持ちでしたか?

 「おじさんやおばさんが『梨江ちゃん!』と声をかけてくれました。拍手も温かく感じられ、張り詰めていた気持ちがほぐれ、涙がこらえられませんでした。『これでいいんだ』と、背中をおされたような気持ちになりました」

 ――キャラバンは11年10月まで続き、国内外125カ所を巡業しました。

 「すごくありがたいことに、フラガールは『福島復興のシンボル』と言って頂くこともありました。自分たちが福島、東北のそういう存在になれた。私を含め当時ダンサーのみんなにとって今でも宝になっていると思います」

 「その半面、各地で公演を重ねる中、原発事故の現実を突きつけられることもありました。いわき市と協力し、地元農産物などを首都圏でPRするイベントに参加しました。会場で農産物を配って回ると、受け取ってはくれるものの近くのゴミ箱に捨てていく人、『なんでこんなものを渡すんだ』と怒鳴ってくる人もいました。前を向いて進んでも、何かしら角にぶつかる。自分たちが置かれている状況にすごく不安定な気持ちになりました」

 ――何が気持ちの支えになったのでしょう?

 「当時、たびたび車で双葉町に行っていました。最初は事故から1カ月後ぐらいの頃で、自宅まで行きました。地震が起きた日のままの状況で、それでも自分にとっては支えでした」

 ――11年4月、原発から20キロ圏内が警戒区域に指定され、双葉町は全域で立ち入りがまったく出来なくなりました。

 「そうなってからは、国道6号で近づける所まで行きましたね。少しでもふるさとを感じたい、いつか復興すればいいなと思い、それをバネにしていました。今思えばふるさとを忘れるのが怖くて、忘れていく自分が嫌だと思っていたんだなと思います」

 「キャラバンを5カ月もの間よくやったなと思います。目の前のことに必死で、その時に自分にできることをもがきながらやっていただけなのかもしれません」

 「時に苦しく、泣いたりわめいたりもしましたが、いま振り返ると、前を向いて日々前進していたと思います。震災は悲しい出来事でしたが、震災がなければその経験もなく、いまの自分もいなかった。感謝の気持ちもあります」

 ――今年3月、双葉町は初めて…

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