後鳥羽上皇の離宮の池か 島本町 3日に説明会

堀之内健史
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 鎌倉時代に承久(じょうきゅう)の乱(1221年)を起こして鎌倉幕府に敗れた後鳥羽上皇(1180~1239)の水無瀬(みなせ)離宮の一部だった可能性がある池跡が大阪府島本町で見つかった。院政期の御所の構造を知る重要な資料になりうると関係者は注目している。

 池跡は、土地区画整理事業に先立ち、町教育委員会が発掘調査した桜井2丁目の尾山遺跡で見つかった。

 直径約3・5メートルのすり鉢状で、深さ約80センチ。直径10~20センチの緑色の石が、底から60センチほどの高さまで敷き詰められていた。注水に使っていたとみられる竹製の管も3本見つかった。

 石の色がそろい、整然と並んでいることから、皇族や貴族が造成に関わったとみられる。

 後鳥羽上皇は譲位直後の1199年、水無瀬川と淀川の合流地付近に離宮(下御所)を造営した。1216年に洪水で壊れ、翌年、山上に新離宮(上御所)を築いたとされる。

 今回の池跡は、北に約500メートル離れた西浦門前遺跡で2014年に見つかった上御所の一部とみられる池跡と形状などが似ており、上御所に含まれていた可能性がある。水無瀬離宮の関連遺構は今回で3例目といい、町教委の担当者は「調査を進めたい」と話す。

 3日午後2時以降に計6回、現地説明会がある(各回定員50人)。問い合わせは町教委生涯学習課(075・962・6316)。(堀之内健史)