[PR]

 江戸時代に長崎奉行所が置かれていた長崎県庁跡地の発掘調査で露出した石垣について、現地視察した専門家が「崩れている部分がいくつかある」と崩落拡大の危険性を指摘した。県は保全のため石垣を一度埋め戻すが、全体の発掘調査を終えた後もそのままにするか、歴史的景観として再び露出させるか、修復方法や費用について検討した上で今後判断する。

 現地視察したのは、服部英雄・くまもと文学歴史館長(元文化庁調査官)と、高瀬哲郎・元佐賀県立名護屋城博物館学芸課長。9月23日、県の招きで石垣の状態を確認した。

 県によると、2人はこの石垣が長崎奉行所のもので、積み直しを繰り返しながら400年以上にわたって維持されてきたものだと指摘。そのうえで、「崩れている部分がいくつかみられ、このまま表に出しておくのは危険」という見方を示したという。

 1571年の長崎開港後、県庁跡地となっている丘の上にはイエズス会が「岬の教会」を置いて布教拠点にした。禁教後、教会の跡地に江戸幕府は長崎奉行所を設置。明治維新後の1874年、県庁が建てられ、1953年建築の4代目庁舎は老朽化と耐震強度不足のため2019年に本格的な解体が始まった。県庁は現在の長崎市尾上町に移転した。

 県教育委員会が旧庁舎解体後の19年10月から3カ月かけて埋蔵文化財の試掘調査を実施。出島に近い南側からは、江戸前期までさかのぼるとみられる石垣や石塀が確認された。

 今回の視察は、発掘調査で南側の石垣の全体像が明らかになったことを受けて実施したもの。全体の調査は今年度末までに終える予定だ。

 長崎市は当初、15年に廃止した長崎市公会堂に代わる新たな文化ホールを跡地に整備することを計画したが、試掘調査の結果を受けて建設を断念。県が活用策を再検討している。(横山輝)

関連ニュース