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 岩手県滝沢市砂込に、ひっそりとたたずむ慰霊碑がある。戦前に満州へ渡って犠牲になった人々を鎮魂するため、1974年に建てられたものだ。「満州開拓殉難之塔」などと記されている。年に1度、この碑を訪ねて弔う人たちがいる。

 夏の終わりごろ、慰霊碑に花を供え、ブルーシートを広げて話し合う5人の姿があった。その1人、開拓団として満州に渡った小森茂如(しげゆき)さん(87)は1933年に盛岡市で生まれた。31年に満州事変が起こり、当時は国策として満蒙開拓が進められていた。

 父、茂穂さんは県庁に勤め、満州に岩手の村をつくる事業の推進にあたっていた。自ら開拓団の団長となった父を追って小森さんも41年に満州へ渡った。戦争が終わってからが、地獄のような日々だったと振り返る。

 岩手の開拓団が入植したのは依蘭(いらん)県と呼ばれる場所で、今の中国黒竜江省にあたる。終戦後、父とともにシベリアに抑留となった。収容所の飢えと寒さはひどく、2歳の弟はすぐに亡くなった。小森さんはゆっくり口を開き、自らの体験を語った。「次々に死人が出た。捨てるように蹴って塹壕(ざんごう)に埋葬した。そこから衣類をはいで持っていく者もいた」「旧ソ連軍から銃で撃たれる者もいた。何とか生きられそうなときは、傷に小便をかけて消毒した」

 帰国したのは53年春。今は盛…

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